熱を持った額にぺたりと手を当てると、彼は気持ち良さそうに目を細くして笑った。
ぴぴっと電子音が鳴ってごそごそと細い体温計を取り出す。
38.7度。
平熱が低い兵部にしてみれば動けないほどの体温だったが、だるいを通り越してもはやふわふわしているらしくそれほど機嫌は悪くない。
「風邪かなあ」
「流行りのインフルエンザでなければいいのですが」
「そしたら君にもうつっちゃうかもしれないね」
「俺は構いませんよ」
いくら高レベルのエスパーとは言え人間である。風邪をひいて寝込むこともあれば虫歯で泣きたくなることだってある。だが真木の場合、幸いなことに大病を患ったことはなく、また他人の看病をしていて感染したことはない。
きっと無意識のうちに生体コントロールをしているのだろう、などと兵部は言うが本当にそんな能力が自分にあるのかは分からない。
けれど、兵部の看病をしていてうつることがないのはきっとそれが単なる風邪や病の類ではないせいだろう、と思う。それは決して喜ばしいことではないが。
「こういうときはね、夢を見るんだよ」
「夢ですか」
タオルを氷水に浸してかたく絞りながら、真木は会話に付き合うことにした。
どうせすぐにとろとろと眠りにつくに決まっている。
それでも、きっと暇なのだ。
こうしてベッドに伏せてすでに四日が経過している。
苦しむ様子はないしこうして会話もする。食事も必要最低限を下回ってはいるがお粥を飲みこむことを拒否しない。きっと兵部自身、うんざりしていることだろう。
「昔住んでいた蕾見家の広い庭でね、僕は穴を掘っている。泣きながら必死にね。手はどろどろですりむけて痛いんだけれど、やめようとしないんだ」
「それは当時の記憶ですか?」
「そう。まだ小さな子供だよ」
「どうして泣いているんです?」
「それがねえ……」
苦笑して、じっとこちらを見つめる真木の心配そうな目を見返した。
「覚えてないんだ。たぶん墓を掘っているんだと思うけど」
「墓」
「そう。きっと拾った猫かうさぎか、死んじゃったんだね」
動物が死んでしまったと泣く子供の兵部を想像しようとしたが、真木にはとても無理だった。目の前の人とのギャップが大きすぎて、彼の決してなにものからも目をそらさずにたたずむ姿が邪魔をする。
子供時代の、つまり陸軍時代の兵部の写真を見たことがある。
色褪せたそれに映っているのは真木の知らない、遠い世界の知らない人物でしかなかった。
「僕はその子供を見下ろしてるんだけど」
反応しない真木を無視して兵部は続ける。
「なにをしているんだいって聞いても答えてくれないんだ。そのうち穴はどんどん深くなっていって、もういいんじゃないかって言うと、やっと泣きやむ」
そして、とくすりと笑った。
「どうしたと思う?その子供、つまり昔の僕はぴょんと穴の中へ飛び降りてしまったんだ」
「どういう、ことですか」
嫌な感じがしてつい眉間に皺を寄せると、兵部は額の乗せられたタオルを掴んで両目を覆ってしまった。
「土をかけて、て言うからさ。もうびっくりして」
「少佐」
ああ、それは悪夢ではないのか。
それ以上続きを聞きたくなくて、真木は彼の話をさえぎろうとした。
「小さな僕は体を丸めて、両耳をふさいで目を閉じて、埋めて、て言うんだね。ああ自分の墓を掘っていたのか、と思うととても」
「少佐、もういいです」
とても、愛しく感じたよ、と彼は微笑みながら呟いた。
京介、と遠くで名前を呼ぶ声がする。
京介は大粒の涙を落としながら、手を止めなかった。
ひらひらのスカートをふくらませながら、義理の姉が走り寄る。少し怒っているようだが京介は振り向かなかった。
「なにしているの?」
少女が地面をのぞきこむ。
三十センチほど掘られた小さな穴と、脇に置かれた、白い布でぐるぐる巻きにされた物体を見て彼女は一瞬黙り込んだ。
そのまま京介のとなりに座り込んで、そっと義弟を見る。
白く整った顔は泣いているせいか紅潮していて、きっと誰だってこの子を抱きしめたくなるだろう、と不二子は思った。
「死んじゃったの」
小声で確かめるように言うと、少年がこくりとうなずく。
「そう。かわいそうに」
ぽつりと呟いて、不二子は袖が汚れるのもかまわずに掘り返された土をすくった。
「姉さん」
「ん?」
濡れた声で京介が呼んだ。
彼はこちらを見なかったけれど、涙は少しずつ量を減らして、赤く腫れた目が痛々しくのぞく。やがて腕で顔を乱暴にぬぐって、そして言った。
「僕たちの墓は誰が作ってくれるの?」
誰か泣いてくれるだろうか。
やけに大人びた顔で尋ねる少年は、もう泣いていなかった。
夏が終わる。
少年はきっともう、誰かが死んだと泣くことは二度とないだろう。
<夏の果。晩夏。夏の終わり。>
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
PR |
![]() |
皆本がしっかりと照準を定め、ブラスターの引き金に指をかけた。 荒廃した街、崩れかけたビル。空を覆う黒煙、そしてひっきりなしに飛び交うヘリとサイレンの音。 遠くで爆発が起こり、熱風がふたりの頬を撫でて空気を焼いていく。 兵部は動かなかった。 いつものように、学生服のズボンのポケットに手を入れたまままっすぐに目の前の男を見つめる。迷いのない闇色の瞳はどこか穏やかだった。 「なぜだ」 喉の奥を振り絞るようにして皆本がうめく。 「なぜ、こんなことに」 「なぜ、だって?その答えを君はもう知っているはずだ」 「分からない。こんな未来は、間違っている」 ブラスターを持つ手が震える。 これでは上手く狙い通り撃てないだろう。 数え切れないほど練習で繰り返した工程はすっかり頭から抜け落ちてしまっている。 皆本は、これでは撃つためではなく彼の足止めをしたいがための、苦し紛れのカードにしか思えなかった。 引き金を引いた時、彼はそこにまだ立っているだろうか。 ふと、そんな気がした。 避けることもせずにそのまま落下していく彼の姿を思い描いて、唇を痛いほどかみしめる。 「予知は外れた。だが、当たっていることもある」 「戦争は起こったが君のせいではなかった。そういうことだな」 「どんな些細なきっかけだろうと、いつかは小さなその火種が起爆剤となる。導火線に一度火がつけばやがて燃え上がるのは時間の問題だろう。その小さなきっかけのひとつが僕であるなら、予知は外れていないことになる。僕が言っているのはそういうことではない」 ひどく遠まわしな言い方だった。 時間を稼いでいるのだろうかとも思ったが、その必要は彼にはないだろう。 むしろ時間が欲しいのはこちらの方だ。 いくらでも引き伸ばして、彼を救えるのならそれがいい。 しかし兵部は眩しそうに目を細めながら、肩をすくめて言った。 「外れたのは、こうして向かい合うのが薫と君ではなく僕と君になっていることだ。当たったのは大規模な戦争を回避できなかったということだね」 「兵部」 「さようなら皆本くん。僕の役目は終わった。さあ、その引き金を引くといい」 それで未来が救えると、そう君が思うのなら。 兵部がす、と右手を差し出す。 「楽しかったよ。ありがとう」 一度でも君と心を通い合わせることができて、とても嬉しかった。 そう告げながら笑みを浮かべ、かつて手を取って抱き合った遠い日々を思っては泣きそうになるのだった。 「うっ……だめだ、泣いちゃう」 「ちょっとパティ、これじゃバッドエンドじゃない!萌えはどこ行ったのさ」 黒巻が、一枚ずつ手渡された原稿用紙を放り出して近くにあった定規をぶんぶん振りまわした。 「私やっぱり小説を書く才能はないみたいです」 「いやそうじゃなくて」 確かに珍しいこともあるものだ、と黒巻は思ったが、反省するところが違う、と突っ込んだ。そもそもそんなことならここまで書き続ける必要もないだろう。つまり気づいた時には遅かった、というやつか。迷惑な話である。 「じゃあこれをプロットにして漫画描けば?」 「そんなことしていたらもう間に合いません!」 「じゃあとりあえずラストシーンまで考えなよ」 わざわざプリントアウトしたからと言われて読んだはいいが、途中で終わっているのがものすごく気持ち悪い。いったいどうしろと言うのだろうか。 「……あのさ」 とても居心地が悪そうに黙っていたカズラが、口を開いた。 ふたりは、ああそういえば居たんだっけ、とちょっぴり失礼なことを思いつつも顔を上げる。 カズラは読み終わった原稿をパティに返しながら、 「最初から漫画にして描き直す暇がないなら、この続きから漫画にすればいいんじゃない?」 「ラストシーンは?」 パティがじっとカズラを見る。 「えーっと……メガネが銃を放り捨てて、少佐に駆け寄ってぎゅってすればいいんじゃないかな」 「……!」 ぱちん、と黒巻が膨らませたガムが割れた。 パティは無表情のまま、じっと考え込む。 「ベタじゃない?」 「でも一番綺麗な終わり方だね」 うなずきながら黒巻が言った。 「成人指定入れるならその後エッチシーンが入るけど」 「ちょっ!」 パティが何でもないことのように言って、カズラはぱっと顔を赤らめた。 「でもそうすると新刊全部R18になっちゃいます」 「いいじゃん」 それがどうした、と言わんばかりに再びガムで風船を作る黒巻に、パティはそれもそうかと納得した顔をする。 ただひとりカズラはむっとしながら、反論した。 「それじゃ誰も読めないじゃない」 |
![]() |
「Mでしょ。どう見てもMだって」
「えー。あんた真木ちゃんのどこを見てきたのよ。あれはどう考えてもS。しかもドのつくSに決まってるわ」 「甘いなあ。全然男心分かってない」 「女の勘に外れはないの!」 「勘かよ」 「……おまえら」 低いうなり声をあげながら、ようやく会話の途切れ目を狙って真木は割って入った。 本人のいる目の前で、SだのMだの議論しないでほしい。 いや、いなければいいというものでもない。 何しろここは誰もが自由に出入りする本拠地のリビングルームである。 さきほどから小さな子供たちも何人かやってきては遊んでいるし、コレミツも困った顔で必死に子供たちの相手をしてふたりの会話から遠ざけようとがんばっていた。 ちなみにマッスルは口出ししたそうにこちらをチラチラ見ながらも、賢明なことに子供の世話に余念がない。ああ見えて、彼は子供好きなのだ。 (子供たちが大鎌のマネを始めたらどうしよう) それはともかく、真木がここへ入ってきたのを見ているにもかかわらず、ふたりの口論はヒートアップする一方だった。 「いい加減にしろ。なんで俺が変態なんだ」 「あ、真木ちゃんそれは偏見よ。SやMだから変態っていうわけじゃないわよ」 「そうだよ。その理屈でいくと俺らのボスはド変態じゃねえか。あ、合ってるか」 「こらこら」 真木は葉の暴言に、ふるふると震えながら炭素で構成した長い髪をのばして、葉の頭を引っぱたいた。 「いってぇ!何すんだよ真木さん!本当のことじゃん!」 「黙れ!少佐を侮辱するなっ」 「してねーよ。本当のこと言っただけだもん」 唇を尖らせて睨む葉に、再び攻撃をしかけようとした真木だったが。 「あれ、何してるのみんな?そんな大騒ぎして」 物音ひとつたてず、兵部が目の前に現れた。 いつもの学生服を着て、だがやはり暑いのか上着の前ボタンをはずしている。 両手をポケットに入れたまま、兵部はふわふわと真木と葉の間に降り立った。 葉が頭をさすりながら文句を言う。 「真木さんがいじめるー」 「んなっ」 とっさに抗議の声を上げようとして、だが一足早く兵部が葉の前にしゃがみこんでよしよしと頭を撫でた。 昔から、兵部はこの末っ子には甘い。 今でさえ同じ目線でじゃれあったり叱ったりしているが、それも結局は子供をあやしたりあしらっているようにしか見えず、葉の要領の良さには感服ものである。 決してうらやましいわけではない。 断じてそんなわけではない。 自分は長男であり、組織のナンバー2なのだ。 「あ、真木ちゃんが嫉妬してる」 バレバレだった。 「なにを言ってるんだ!少佐、葉があなたの……ええと」 陰口、というほど悪意があるわけではない。 だがさすがに、葉が兵部のことをド変態だと言ったので叱りました、とは言えない。 おそらく素直にそんなことを言ってしまえば、その怒りはこちらにも飛び火するのは目に見えている。 「どうせまた葉がいらない口を叩いたんだろう。いちいち怒るなよ真木」 いやどう考えても事実を知って怒り狂うのは兵部である。 真木はこっそり紅葉を見たが、彼女は知らんぷりで雑誌なんかめくっていた。 こういうとき、女性の切り替えの早さは尊敬に値する。 「で、喧嘩の原因はなに?」 いい加減大人になりなよ君たち、と説得力皆無な説教を大人になれない老人が言った。 「真木さんがSかMかで紅葉とディベートしてましたァ」 「……それだけ?」 都合の悪いことは隠すつもりらしい。 だが確かに間違ってはいないので、真木はむっつりと険悪な表情のまま黙ってうなずいた。 兵部がぷぷっと笑って、腕を組む。 「ふーむ。それは難しい問題だね」 「どこがですか!俺はSでもMでもありません!」 「そうかなあ。人は必ずどちらかの資質があるって言うよ。あ、ちなみに僕はどちらかと言えばMっ気があるかも」 「…………え?」 「…………え?」 「…………え?」 幹部三人が同時に声を上げた。 今聞き捨てならない発言を耳にしたような気がする。 ただひとり、紅葉だけはにんまりと笑って納得したように何度かうなずき、だがすぐに興味を失ったように再び雑誌に目を落とした。 「ええと、何言ってんの少佐?あんたどう考えてもサドじゃん?」 ああ、言ってしまった。 これは怒られるぞ、と真木は首をすくめたが、意外なことに兵部は目を丸くして、けたけたと笑いだした。 「いやいや。確かに興味のあるものをいじめるのは大好きだけどね、それってつまりいじめた相手が怒ったり反抗してくるのが楽しいのであって、怒られたり抵抗されて嬉しいってことはMなんじゃないかなあ?」 「う、うーん……」 確かに、究極のSはMである、とも言う。 が、それでは結局誰しもが両方の性質を持っている、という結論になりはしないだろうか。 などと真面目に考えだした真木を横目で見て、兵部は満面の笑みを浮かべた。 「真木はドSだよねえ」 「え!?」 葉が意外だと言わんばかりにぽかんとし、紅葉は無反応だった。 すでにこの論争から離脱しているようだ。 「なんで!?だって真木さんっすよ?少佐に毎日いじられて嬉しがってるじゃん。ドのつくMじゃん!?」 「おまえな……」 よくもまあ、ここまできっぱり言えるな、と据わった目で葉を睨む。 「いいや、真木は普段Mだと思わせておいてなかなか鬼畜だよ。なあ真木?」 「き、鬼畜……!?」 「おかげでいつも僕は大変で……」 「わーわーわー!少佐!そろそろおやつの時間です!冷蔵庫に梅酒ゼリ―がありますからあっちへ行きましょう!行きますよ!!」 にやにやする兵部の言葉を全力で遮って、真木は細い腕をつかみ、慌ててリビングから連れだした。 後ろで葉が何やら叫んでいるが、このさい無視を決め込む。 「こう見えて真木は欲望に忠実だよね?」 ふふ、と笑う兵部に、真木は勘弁して下さいと大きな犬のようにうなだれた。 やっぱりこの人は超ウルトラスーパースペクタル級ドSだった。 |
![]() |
犯罪超能力集団の首領であり、世界で最も凶悪なエスパーのひとりと言われている外見15,6歳実年齢80越えのじいさんが、「電車に乗りたい」などと言い出したものだから、パンドラの本拠地カタストロフィ号の一角では早朝からちょっとした騒動が起きていた。
いつものように学生服を身につけて左肩にももんがを乗せ、じゃあ行ってきますと堂々と出かけようとした兵部にまっさきに声をかけたのは右腕であり兵部が最も信頼を置く部下の真木である。 「少佐、どちらへお出かけですか」 「どこだっていいじゃん」 「よくありません。外出するなら俺も行きます」 まるで保護者のような顔でそう告げる真木に、兵部はむっとしたように唇を尖らせる。 「何でわざわざ引率者の顔した子供を連れて行かなきゃいけないんだよ」 <引率者の顔をした子供>とは言いえて妙ではあるが、真木はぐっと突っ込みたいのを堪えてこっそり体の後ろで拳を握った。 「おひとりでは危険です。あなたはもっと組織の長としての自覚を持って行動するべきです。我々パンドラはもはやバベルを超える巨大な組織に成長しました。バベルもブラックファントムも目を光らせて監視していると思われます。長であり象徴であるあなたがいつどこで危険な目に合うか分かりません」 「長い。三行で」 「トシヨリハ ダマッテ センベエ クッテロ」 「黙れげっ歯類それ4行になるじゃないか」 ぺいっと桃太郎をテレポートでどこぞへ追いやって、こめかみに青筋をたてる。 「少佐、ふざけないでください。大体どうして電車なんかに乗る必要があるんですか」 自分を含め、パンドラのメンバーでテレポート能力や空を飛ぶレベルの力があるものは普段公共の乗り物など利用しない。街で行動するとしても車や二輪が主で、堂々とバスや電車にのるエスパー犯罪者というのも想像するとちょっとシュールである。 「電車に乗りたいっていうか、ホームに行きたいっていうか」 「意味が分かりません」 相変わらず支離滅裂な言動の上司である。 真木は頭を抱えたいのを堪えて我慢強く問いただした。 無意識にうねる黒く長い髪を見ながら、兵部はわずかに視線をそらし、明後日の方向を見つめながら言い訳がましく、 「君はたいやきを食べたことはあるかい」 「……たいやきですか。たいやきってあのたいやきですか」 「そうだよ。毎日毎日鉄板で焼かれてやんなっちゃってるあのたいやきくんだよ」 かわいそうだよね、などとくだらない同情をしながらうなずく。 そろそろ本気で頭痛がしてきた真木だったが、ここで怒っては負けなのは長年の経験で分かっているので、どうにか冷静な表情を作りながら咳払いをした。 「そのくらいは知っていますが食べたことはありません。それが何か」 「型に生地を差し餡を軽く乗せて、生地の周囲が乾き始めたら千枚通しで型から引きはがし、反対側の型に生地を流し込んで完全に流し込む直前で反対の板と合わせるんだ。その後きつね色になるまで焼くんだよ。周りがぱりぱりなのがおいしいよね」 「よくご存じですね」 どうしてたいやきの作り方を知っているのか甚だ疑問ではあるが、真木の質問に対する答えにはなっていない。 どうやら兵部はまともに会話をする気はないらしい。 「あそこのたいやきおいしかったなあ」 「もしかして、それが駅のホームに売られているんですか?」 「そう言っただろ」 「言ってませんよ全然言ってません」 それを食べたいだけなら、他のメンバーを行かせたらいいではないか、と忠告しようと真木が一歩踏み出した瞬間、目の前の空間が歪んで、吸った息を吐ききる前に兵部は姿を消してしまった。 「少佐あああああああ!!」 もういやだ。 目に涙を浮かべてひとしきり泣きごとを頭の中で並べたてて三分後、ようやく立ち直ると慌てて彼の後を追うべく世界各地に配置している通称どこでもドア超空間バージョンへと走って行った。 「というわけで買ってきた」 「それを何でわざわざ僕の所へ持ってくるんだ」 これ以上ないくらいの迷惑な顔をしながら仁王立ちする皆本を、兵部は口をもぐもぐさせながら見上げた。 「ふぁっふぇ君もたふぇたいふぁと思っふぇ」 「食べながらしゃべるな!」 「うっ、げほげほげほ」 途端に咳きこみだした兵部に、皆本は慌ててキッチンへ走りコップにミネラルウォーターを注いで差し出す。 涙目になりながらそれを必死で飲み下し、兵部はようやく大きく息を吐いた。 「あー苦しかった。死ぬかと思った」 「おまえ、たいやき食ってて喉につまらせて死ぬなんて恥ずかしいにも程があるぞ」 「しかもこんなところで?」 パンドラの首領、たいやきを喉に詰まらせバベル職員の住居で窒息死。 シュールだ。 「でも残念なお知らせがあるんだ」 「はいはいそうですか。もういいからそれ食ったら帰れよ」 そろそろ薫たちが帰ってくる、と時計を気にする皆本など目に入らないかのように、兵部はまだいくつか入っている袋を掲げて見せた。 「たいやきが売ってなかった。これ回転焼きなんだよね」 食べる?とひとつ取り出して差し出してきた丸いそれを反射的に受け取って、皆本は反論する気力もなくかぶりついた。 「これじゃ食べた気にならないよね」 不本意そうな表情の兵部に、皆本は口の中の餡子を飲み込んで、兵部の目の前でふわふわ浮いているコップをつかむと一気に残った水を飲み干した。 「ていうか、一緒だろ」 「違う!全然違う!!」 大げさなほどに怒りを表す兵部を、なんだか奇妙な生物を見る目でしばらく眺めてから、皆本はリビングの窓を全開にして叫んだ。 「おたくのじいさんを早く引き取りに来てくださああああああい!!」 「がっかりするだろ!たいやき食べたいのに回転焼きだとなんか負けた気がするだろ!なあ皆本!?」 それよりも蒸し暑い梅雨到来の時期にそんなもん食うなよ、という皆本の小さな突っ込みは、生ぬるい風に吹かれてむなしく飛んで行った。 そろそろあの炭素男がたいやきを片手にお迎えに来る頃だろう。 ていうか来てください。まじで。 |
![]() |
「組織に属しているからと言って、別に会費とってるわけでもないし首からカード提げてるわけでもないしね」
「カードですか」 「リボンでもいいけど」 「リボン」 羽根にするとまた違う団体になっちゃうね、とくすくす笑う養い親兼上司に、真木は胡乱な眼を向けた。 「でも一定のルールというのは必要だ。君がいつも新人に言い聞かせていることだよ。言ってごらん」 「マニュアルを作成しているわけではありませんが。そうですね、兵部少佐が絶対であるということ。我々パンドラは少佐が創設された少佐のための組織であるということくらいでしょうか。生活の細々したことは、そのつど教えるようにしていますが。理念としては・・・」 「あーもういいや」 いまさら何を尋ねるのか、と最近とれなくなってきた眉間の皺を深くして律義に答えてみたものの、兵部は聞いているのかいないのか、適当に相槌をうちながら、ふわふわ浮いたまま腕を組んだ。 「人にそれを言うということは君は実践しているわけだ」 「していませんか」 「してる、してる」 自分で聞いたくせにあしらうような返事に、真木はわずかに頬をひきつらせる。 わざと怒らせようとしているようにしか思えないが、この人の言動は常に自分を試すようにそうする癖がある。つまり、怒ったらその時点で負けなのだ。一度この人に反省という言葉を知っているか聞いてみたい。だが聞いてみたところで彼はたぶん、やっぱり適当な返事しかよこさないに決まっている。 『そういうの、しない主義なんだ』とかなんとか。 「それで、なにがおっしゃりたいのです」 「あれ、分からない?ダメだなあ。それじゃ僕の右腕は務まらないぜ?君は僕に絶対服従なんだろう?そんなこと命令した覚えはないけど」 「命令などされなくても、俺はあなたのために働くことが誇りですから」 真面目に言ったつもりだったが、きっちり三秒間停止した兵部はぷっと吹き出した。失礼にもほどがある。 「よく真顔でそんな恥ずかしいこと言えるよね」 「なっ、何なんですかさっきから!何かおっしゃりたいことがあるならはっきりそう言えばいいじゃないですか!」 ぷりぷり怒り始めた真木に兵部はけらけら笑いながら涙をぬぐった。 「そうだった。本題に入ろう」 「長い前振りですね」 精一杯嫌味を言ったつもりだったが、軽くスルーされてしまった。 人間八十年も生きていると都合の悪いことは聞こえなくなるらしい。ある意味うらやましい技とも言える。絶対真似したくない。 「君はこの間、せっかくみんなが開いてくれた僕の誕生日パーティで大騒ぎをやらかしてくれたね」 「すでに間違ってるんですが」 大騒ぎしたのは誰だ、と心の底から突っ込みたい。 だが訂正しようとした真木をさえぎり、兵部は一気にまくしたてた。 「君は全然打ち合わせどおりに動かなかったらしいじゃないか。紅葉も葉もパティもがっかりしていたよ。あとで見せてもらった進行表によるとあのあと君は全裸でリボンをぐるぐる巻いて僕の部屋で一晩明かす予定だったじゃないか」 「あのですね少佐、」 「僕としてもがっかりだ。そりゃパーティは楽しかったしみんなに感謝してるけど、真木、君の失態は降格の上減給ものだよ」 「給料をもらった覚えはありませんが」 完全歩合制の犯罪組織に、考課表も月給制も存在しないのである。 やったもん勝ち、ぶんどったもん勝ち、別に一戦闘員のままで良いのなら、招集命令が出ない限り、自分が生活するのに困らない程度に何かしら仕事をすればそれで良い。当然非戦闘員や子供たちの生活は完全に保障されているが、真木にしても他のメンバーにしても、自分の小遣いは自分で稼ぐのがルールである。もちろんそこに給料明細もボーナスも存在しない。組織拡大のために大きな仕事を請け負ったとしても、真木はその分け前を多く受け取ろうとしたことはない。 と、たらたら正論を頭の中で繰り広げてはみたものの、口にする前にやっぱりさえぎられた。 「だから罰をくれてやる」 「ええええ!?すでにあれが罰ゲームだったような気がしますが!?」 何故、組織のナンバーツーであり兵部の右腕というありがたい地位に立っているのにこんな仕打ちを受けなければいけないのか。 たまに、一日に三回程度だが、真木は考える。 メンバーの食事を作って、兵部の分を別に作りなおし、着替えを手伝い、彼の部屋の掃除をし、わがままに振り回され、無茶な命令に半泣きで答え、通常の仕事をこなし、組織としてのメンツを保つために様々な交渉ごとを指揮し、夜になれば半々の確率で寝ているところを襲われる。 泣きたい。 「泣けば?」 冷やかな声が頭上から降ってくる。 「泣きません。それで、罰って何です」 「うん、この間できなかったことを今やってほしいな」 「何です?」 「僕を全力で口説け」 悪魔のしっぽが見えた気がした。 「く・・・どく、ですか」 「そう。僕を感動させてみろ」 「来世の幸福のために善行をなせと」 「それは功徳。犯罪組織の一員が善行をなしてどうするよ」 「ですよね」 うなずいて、真木は考え込んでしまった。 いったいどうしろというのか。 そもそも自分はそう語彙が豊富な方ではないし、ましてや誰かに対して愛の告白などしたこともない。 それに近いものならば、さっき兵部に言ったような気がするのだが、彼はそれでは満足しないらしい。 「ほら早く。あ、言っておくけど好きですとか愛してますとかそういうのはなしな」 「だ、だめですか」 先手を打たれてしまった。 そろそろ日も沈みかけ、自分たちが浮いている空は紫色へと変化している。ビルの谷間に隠れようとしている太陽は不気味なほどオレンジ色に光っていて、禍々しささえ感じた。下界に目を向けると電柱のてっぺんには鴉が陣取って、巣へ帰れと雄たけびを上げている。 そうだ、早く帰って晩御飯の支度をしなければ。 「ええと・・・」 無意味な声を上げてからちらりと兵部を見ると、彼は腕を組んだまま微動だにせずこちらを見つめていた。 混乱する脳を必死でフル回転させながら真木は考える。 晩御飯、晩御飯。いや違うそうではない。 「あ!ええと、み・・・」 「・・・み?」 「みっ、味噌汁を毎日食べて下さい!」 「・・・・・・・・・・・・・・あ?」 低い声がして、冷たい風が吹くと同時に一気に体温が下がった気がした。 怖々と兵部の反応を伺うと、どうやら彼は座った目でこちらを睨んでいるようだ。 だめだったらしい。 「・・・・・・何それ?ねえ何だそれ?説明してくれないか」 「いえ、ですから・・・。言うじゃないですか、君の味噌汁を毎日飲みたい、て」 「言わないよ。ていうか何それ」 「ええと・・・」 何年か前に見たテレビドラマで、いちゃいちゃカップルがそんな会話をしていたのをおぼろげに覚えていたので実践してみたのだったが。 (・・・は!違う!あれはプロポーズだ!!) がくっと兵部が姿勢を崩した。 慌てて支えようと腕を伸ばしたが、冷たく振り払われる。 「もういいや帰る。君に期待した僕が馬鹿だった」 「え!?ちょっと待って下さい!もう一度チャンスを」 「ばーかばーか。君はそこで頭冷やしてこいばーか」 悪態をついて、兵部はくるりと背を向けると、さっさと飛んで行ってしまった。 「待って下さい少佐!」 慌てて大声で呼びながら追いかける。 どうやら怒らせてしまったようだ、と真木は冷や汗をかきながら、ものすごいスピードで飛ぶ兵部を必死に追いかけた。 その差はぐんぐん開き、これ以上離れてしまえばどんなに叫んでも声が届かなくなるだろう。 「少佐!」 肺いっぱいに薄い空気をとりこんで叫んで、右腕を突き出す。 「ずっとそばにいて下さい!」 つい出てしまったせりふに、真木自身も驚いてしまった。 まるで小さな子供が駄々をこねているようで恥ずかしい。 顔を赤くしながら唇を噛みしめると、遠くにあった小さな体がどんどん大きくなるのが見えた。前方を飛ぶ兵部がスピードを落として、そのまま止まったのだ。 背を向けたままなので表情は分からない。 やっとの思いで追いついて、真木は何と声をかけるべきか悩んだ。 すでに太陽は完全に沈み、限りなく黒に近い濃紺に星たちの姿が見える。 これほど高い場所ならば、地上のネオンの光に惑わされる事なく月や星を見ることができる。手を伸ばせば届きそうなほどにそれは近い。 「あの、少佐」 どうしようか、と思いながら兵部の肩に触れられるほどに近いところへ移動すると、月明かりに照らされた詰襟からのぞく白い首がうっすら赤くなっているのに気づいた。 「ばっかじゃないのか」 「え」 兵部が小さく毒づいた。 だが、せりふと表情が合っていない。 (そんな顔で言われても) つい彼の体を抱きしめたくなるのを堪えながら、真木はそっと彼の前方に回り込んだ。 「いつまでも、ガキみたいなこと言いやがって」 唇を尖らせて睨む彼の方がよっぽど子供っぽいではないか。 むっとしたようにそっぽ向いた敬愛するその人に笑いかけて、右手を取った。 「帰りましょう。夕食を作らないと」 何が食べたいですか、と尋ねると、こちらを見ようともしないまま兵部はぎゅっと手を握り返して、言った。 「味噌汁」 |
![]() |