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しんと静まり返った部屋で、彼女は途方に暮れた様子だった。 冷たいフローリングの床に座り込み、じっとうつむいている。 長い髪がその冷たい表情を隠していた。 こんこん、と窓を叩く。 藤井さとこは、顔を上げて驚いた表情を見せると、よろりと立ち上がって歩み寄り鍵を開ける。がらりとガラス戸を滑らせた。 「……窓から入ってくるなんて」 「いや、堂々と玄関から入るほど付き合い長くないしね」 何だか間違っているような気もするが、藤井は小さく笑って、彼を招き入れた。 いつもの学生服姿。変わらない笑み。靴を脱いでベランダに放置すると、兵部はためらいなく中へと入った。年頃の女の子の部屋にしては質素で飾り気がない。カーテンも絨毯も白で統一され、可愛らしいぬいぐるみや花が置かれているわけでもない。 唯一、部屋を圧迫するほどに置かれた本棚にみっしりと小説本がおさまっていて、兵部は興味深そうにそれらの背表紙を眺めた。 無言で藤井が部屋を出て行く。 彼女の机に控え目に飾られた写真立てを見て、そっと触れた。 ゆるやかな波動がてのひらを包み、やがて消える。 「……本当、女って不可解な生き物だよね」 ねえ、と振り向かずに言うと、わずかな窓の隙間から、無言で問いかけるような念が届いた。 「別にくっついてこなくても良かったのに」 「……いえ。気になさらないで下さい」 慌てて追いかけた兵部はすぐに見つかった。彼女、つまり藤井さとこの家である。 とりあえずの危険はないだろうと判断して、真木はそっとベランダの見えない位置に姿を隠した。外から見れば不審者以外の何者でもない。 やがて部屋の扉が開いて、盆にティーカップを乗せた藤井が現れた。 小さなテーブルに置いて、兵部に座るよう促す。 「いろいろ、ありがとう」 「なにが?」 「バベルのスキャンダル、あなたでしょう?」 机の上から、一冊の雑誌を取り上げて兵部に差し出す。兵部はそれを受取ろうとはせずにちらりと見ただけですぐに藤井に視線を移した。 彼女が見せたのはどこにでもある低俗な週刊誌だった。芸能人のスキャンダルやら、政治家の不祥事やら、他人の不幸を飯の種にして世論を騒がしているつもりのろくでもない通俗本である。中身を見るまでもなく、おそらくバベルについてあることないこと書き立てて読者の好奇心を煽るようなことを書き連ねてあるのだろう。 「どうかな、そんなことしなくてもその手の雑誌は好き放題やってくれるよ」 「でもすぐに情報規制されちゃったのもの。ここまで深くバベルを追及した記事が出せるのは内部に精通した人の情報が必要だわ」 違うの、と問いかける藤井の挑むような目はまっすぐだった。弟を失ったことに対する怒りや悲しみはもう吹っ切れたかのように、彼女の表情には曇りがない。 兵部は出された紅茶に口をつけずに、行儀悪くテーブルに肘をついた。 「気は済んだかい?」 「え?」 なに、と怪訝な表情を浮かべる藤井に、兵部は意地の悪い笑みを浮かべた。 「君は本当は知ってたんじゃないの?加藤くんが死んでいたこと」 「……どうしてそう思うの」 「あの写真」 そう言って、机の上に遠慮がちに立て掛けられた写真立てを見た。 「読み取れたのは強い恨み。復讐。それは力のない自分にも向けられている。……君はずいぶん最初の段階で僕の正体を見破っていたね?皆本くんのことを疑わしいと言っていた頃からかな?」 カップを持つ藤井の手が震えた。 「皆本を疑っているのは本当だった。だからもし僕が君の心を読んでも、本心だから不審に思うことはない。君は常に僕に何を読み取られても疑われないように心の中に<優先順位>をつけていた。強く念じるのは皆本への疑念。それだけで本音で僕を利用しようとしているのを隠そうとした」 「言葉にするとよく分からないわね」 けれど感情とはそういうものだ、と兵部は言った。 「僕は君には特に興味なかったから本気で君の中を読んだりしなかった」 取り方によってはなかなかひどいセリフだ、と藤井は小さく笑った。 「あの子はね、もう力を使いたくないって、そう考えていたと思うの。けれどバベルに弱みを握られちゃったから、そういうわけにもいかなかったのね。追い詰められて、それで死んじゃった」 力を使いたくなかった。それは何のためか。聞かなくても分かる。きっと、真島に恐れられたのがショックだったのだ。自分より高い能力。いつでも心をのぞかれるかもしれないという困惑。そういったものを嫌でも感じ取っていたのだろう。 「本当はもっと大げさにしてほしかったわ。バベルがその権力をはく奪されるくらい」 でも残念、とカップからたちのぼる湯気を見つめながら零した。 「悪いね」 けれど、バベルを破滅へ導くのはまだもう少し先なんだよ、と。 悪びれなく、兵部は言った。 まわりくどいことをしたんですね、と真木は生徒会に関する資料や七か月前のテロ事件に関する資料を整理しながら、兵部に言った。結局、学院を通して関わったこの事件は些末な雑事として片づけられることになった。何の得にもなっていないし損したというほどの出来事でもない。 「少佐を利用しようとするなら、初めから加藤が歯科に通っていたという情報を流せば良かったのでは?」 「いや、どちらにしろ結果は同じだよ。七か月前の事件を知らない時期に通院歴の情報をもらっても、歯科医がその事件に関わっていたなんて僕らは知らないんだからわざわざ透視したりはしないだろうし。何かしらを感じて歯科医を透視しても、過去の事件について調べるタイミングが違ってくるだけだ。加藤が歯科医とつるんでたと分かったら自然と七か月前の事件へとたどり着いただろう。つまりは同じことだ」 関係のないことだとしても、それを追及するうちに真実が見えてくるものだと兵部は言った。 「情報を収集する上で必要ないことなんてないんだよ」 たとえ全く関係のない情報を入手したとしても、次に起こる出来事の重大な情報になるかもしれない。そうやって積み重ねていくものだ。関係ないからとそこで手を止めて切り捨ててしまえば、次にそれを調べるときに二度手間を食らうことにもなりかねない。 情報とは整理されて積み重ねていくファイルのようなものだ。ただし更新をかけていく必要はあるが。 「しかし、我々パンドラを利用してバベルの評判を落とすのが目的だったとは。まだ子供なのに考えることが大きいですね」 呆れたような顔をする真木に、兵部は読んでいた文庫本から顔を上げて、笑った。 「自分が力不足だと知っていて力のある者をうまく利用しようとする。その心意気は評価に値するね。本当に」 愚かしくて、弱くて、けれども。 そう言う存在もまた愛しいよね、と。 もう二度と会うことはないだろう、クラスメートを思い浮かべながら、そっと本を閉じた。 「少佐、そんな小説本持っていましたっけ?」 おや、と本の表紙を見ながら真木が突っ込んだ。 兵部はにやりと笑うとなかなかぶ厚いそれをガラステーブルに放り投げる。 「彼女の部屋からこっそりくすねてきた。あんなに背伸びして大人びた子なのに、なかなかどうして可愛いよね」 『男を騙す100の方法』 女子高校生が読むにはどうかと思われる本を指でつついて、兵部はげらげらと笑ったのだった。 PR |
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