× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
偶然廊下で出会った蕾見不二子(珍しく起きていたらしい)に、福引が当たったのだと伝えたのは薫だった。にこりと笑った不二子の顔が一瞬曇ったように感じたのは、気のせいだっただろうか。 しなびた温泉旅館で、今は閉鎖されているが内装は管理人によって整えられているし要望があれば素泊まり宿として開放しているらしい。 それじゃあご馳走は?と不満げに頬を膨らませるチルドレンたちだったが、材料を調達して、広い調理室を利用しみんなで食事を作ろう、という皆本の提案にのってくれたのは助かった。五十人ばかりが泊まれる客室を有する旅館を、たった四人で貸切状態にできるのだ。これほど贅沢な話はないだろう。 「温泉は毎日掃除してあるから綺麗だし、戦前から続いている由緒正しいお屋敷を改造したものだから、何かお宝が見つかるかもしれないわね」 そう言って、管理官は手を振りながら子供たちを見送ったのだった。 「・・・・で、何で俺まで」 すっかりふてくされた顔で文句を言いながらハンドルを切る賢木に、皆本は申し訳なさそうに眉尻を下げた。 「ごめん。でも自分も有給使ってついて行くって最初に言い出したのおまえだろ」 「そうだけどさ!温泉っていうから綺麗な女将さんがもてなしてくれる高級旅館想像してたのにー。まさか誰もいない素泊まり宿だなんて聞いてないぞ」 「言ったよ!言った。おまえが最後まで聞かないでそのまま有給申請出しちゃったんじゃないか」 「そうだっけ?」 全く身に覚えがないや、と首を傾げる親友に、つい溜息がこぼれる。まったく、自分に都合のいいところしか覚えていない。 「ねえねえ、ばあちゃん今からいく宿のこと知ってるみたいだったよね」 「確かに。戦前から続いてる屋敷って言ってたし、もしかしたら管理官も行ったことあるのかもしれないな」 「あーあ、でも結局自炊するのよね」 頬に手をあててちょっぴり拗ねた顔の紫穂に、思わず男同士目を見合せて苦笑する。 「しけた福引やなー」 「こらこら。福引券じたい、マンションの管理人さんがご厚意でくれたものなんだから」 まさか一等が当たるとは思わなかったけれどな、と呟いて、窓から延々と続く山道を見つめた。 ちゃぷ、と小さな水音が何度か響いた。ぱしゃぱしゃと繰り返して、ふいにとまったかと思うとずるずると布の塊が動いて、その上にぱたりと銀色の髪が乗っかる。 「あーしんどい」 洩れる呟きはやや掠れ、だがそのかわりにだるそうな、少し勘違いすれば艶やかな甘さを含んでいる。囲炉裏をぐるりと囲んだロビーはおそらく何十年と代り映えしていないのだろう、時代を物語っている。そのロビーの隅に、磨かれた檜の溝のようなものが端から端まで伸びており、九割方には蓋がされていた。そのいちばん中央にあたる場所に彼は上半身を倒し、足を蓋がよけられた溝の中に浸している。中に流れているのは建物の外からパイプを通して伸びている、源泉から川へと流れる温泉だった。 かすかに埃っぽいクッションに頬をこすりつけながらうっとうしい前髪をかき上げる。指先に触れる傷跡は鏡を見なくてもくっきりと形を再現できるほどなじんだもので、けれど決して一生付き合いたいものではない。 硬い靴音が近づいてくる。 「少佐」 ふたりしかいないというのに何故か声をひそめて、大柄な男は手にしていた上着を敬愛する上司であり、育ての親でもある兵部の体にそっとかけた。 「部屋に戻りませんか」 「やだ」 「・・・ここは冷えますよ」 「あったかいよ。足は」 「ですが」 肩が冷えるでしょう、とたしなめて、彼の背中に手を当てるとゆっくりと抱き起した。手のひらで支えるその体は見た目以上に薄い気がする。肌の色は病的なほどに白いくせに普段以上に熱を持っていた。 「遊びに来たんじゃないんですよ」 「え、違うの?」 わざとらしく、光のない目を細めてからかうそぶりで言えば、忠実な部下は癖のようにまたため息をついた。 「療養に来たんでしょう。悪化させてどうするんですか」 そう言って、兵部が何か言いだす前にひざ裏に手を差し込むと抱き上げた。彼の足元にはスリッパも靴もない。 「静かだけど退屈すぎ」 「ここにしようと言ったのは少佐ですよ」 「そうだっけ」 都合の悪いことは全部知らないふりをする兵部である。 「のんびりと静かなところで過ごしたいとおっしゃったのは少佐じゃないですか。……ここがあの蕾見不二子の所有物だったのには少々、どうかと思いますが」 「いいじゃん。親戚ですって言ったらあっさり貸してくれたし、あの管理人」 僕のことは知らないみたいだね、と言う兵部に、それはそうだろう、と真木はうなずく。たとえ同じ家系の者が代々管理人をつとめているとしても、世代交代したらしいあの若い夫婦が兵部のことを知っているはずがない。 「そういえば君、今日は夕方から仕事だろ」 ここにする、と決めた客間まで長い廊下を歩きながら、真木は今抱えている最も大きな心配事を兵部みずから口にしたことに微かな疲れを感じた。 「はい。葉が、かわりにここへ来ますので」 「別にいいんだけどなあ。ひとりは慣れてるし」 「……そんなことを、俺が認めるとお思いですか」 「お思いじゃありません」 真木の口調がおもしろかったのか、ぷっと笑いながらからかう。 兵部にしても、本当にひとりがいいと思っているわけではない。 なにしろあまり自由に体が利かない現状でひとりきりで過ごすのは多少骨が折れる。面倒をみてくれる家族がいるのは嬉しい。 ただ交代要員が葉だというのが少しばかり不安ではあるが。 「あ、ちょっと待った」 「はい?」 ふいに上がった声にぴたりと足を止めた。 「真木、引き返してくれ」 「え、どうしてですか」 「さっきのロビー。受け付けの帳簿が見たい」 「帳簿、ですか」 そんなものあっただろうか。 「うん。もしかしたら前回僕らが来たときのが残っているかもしれない」 「あるでしょうか?何十年も前なのでしょう?」 「確かめてみたい。ほら、早く」 髪を引っ張られて、そう言うなら仕方ないと、真木は兵部を抱え直して今来た道を戻ることにした。 PR |
![]() |
![]() |
|
![]() |