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「ないなあ」
かつて宿泊客の受付をしていたのだろうカウンタの下にもぐりこんで、兵部はさほどがっかりした様子もなく呟いた。そばでは真木はがハラハラしながら見守っている。 「管理人が所有しているのでは?さすがにこんなところに置いて行ったりはしないでしょう」 「そうかなあ。でもほら、宿泊客が自由に書き込めるこのノートは残ってるよ」 取り出したそれは、埃まみれの、革の表紙を使った一冊の分厚いノートだった。 表には墨で【ご自由にご記帳下さい】と書かれている。 あまり興味なさそうに差し出されたそれを受取って、ぱらぱらとめくってみた。 質の悪い紙に様々な字体で、客が好きに書き連ねている。 日付は昭和15年から16年あたりのものだった。 「たぶん、不二子さんの筆跡が残ってるんじゃないかなそれ」 「え?」 「ここへ来たのって確かその辺りの年だったから。僕が10歳くらいだね」 真木は紙をめくる手を止めた。 「少佐、もうよろしいでしょう。部屋へ戻りましょう」 ここへ着いてすぐに、ロビーや屋敷の中全体の空調を整えてはいるが、ふたり以外誰もいない広い屋敷はどこか空気が冷たい。埃っぽい気がするのも真木は気にかかっていた。もう少し丁寧に掃除をしてほしい。だがふだんほとんど使用されていないのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。 「あれ、誰かくる」 「え?」 ふいに兵部が顔を上げて玄関を振り返った。 真木の耳に車の音が聞こえてくる。 「他にも宿泊客がいるのでしょうか」 貸し切りだろうと兵部が言ったのでここを選んだのだ。 他に誰かくるなら、そしてそれがノーマルであればただちにここを出たい。 というよりも、正直この旅館に辟易していた真木は、他人がくることによって兵部が「帰ろう」と言い出すのを期待していた。 やがてエンジンの音が止まって、磨りガラスの向こうに複数の人影がうつる。 「あれ、鍵あいてるね」 「貸し切りじゃなかったん?」 「ぎりぎりになって他の宿泊客が予約入れたのかもしれないね。でもまあ、広いから平気だろう」 よく知った声がする。 ぎょっとして真木が兵部を振り返るのと、扉が開くのが同時だった。 「あ」 先頭に立っていた皆本と、兵部の声が重なる。 カウンタのそばでしゃがみこんでいた兵部は立ち上がって、あっけにとられた顔をしていたがすぐに改めた。 「……まさか君たちとかち合うことになるとはね」 「げ、兵部!」 「え、京介!?」 次々と皆本の背中から身を乗り出して、チルドレンたちが声を上げた。 「少佐、ここは俺が……」 すかさず戦闘態勢に入る真木だったが、ぽん、と腕を叩かれる。見下ろす顔は笑みを浮かべていた。ゆるりと腕を組んで兵部はカウンタにもたれかかる。 「ここでやりあう気はないよ。邪魔だっていうなら帰るけど」 「少佐!こいつらに気を使う必要がどこにあるですか!せっかく療養にきたんですよ!」 「あれ、君ここ嫌なんじゃなかったの?」 「そ、そういうわけでは」 見透かされていたようだ。 ぐっと言葉に詰まる真木をからかうように見て、どうする、と問いかけるように皆本に視線をうつした。 顔をひきつらせたまま皆本は硬直している。 「どうするの、皆本さん」 「ねえ、別にやりあう気ないって言ってるし、いいじゃん」 「ちょっと薫ちゃん」 紫穂が薫の袖を引っ張った。 「療養って?」 しばらく無言で成り行きを見守っていた賢木が進み出た。 さりげなく皆本たちを守るような位置に立つ彼に、真木も緊張する。 彼はサイコメトラーだ。戦力的には全く問題ではないが、チルドレンと連携されると厄介だろう。それにあの男は皆本にはない独特の雰囲気をまとっている。喧嘩慣れしている、とでも言うのだろうか。 「調子が悪いからのんびり静養にきた。それだけ」 「……本当か?」 「そんな嘘ついてどうするんだい?言っただろ、嫌なら帰るよ」 むっとしたように目を細めると、短く真木を呼んだ。 心得ている真木はうなずいて、荷物を取りに行きましょうと兵部の背を軽く押した。ひとりでここに残すことはできない。 嘆息して促されるままに歩きだそうとした兵部を止めたのは皆本だった。 「……分かったよ。僕らだって休暇できたんだし、わざわざ面倒事を起こす気はない。そっちが戦う意思がないのなら見なかったことにする」 「ん?」 振り返ると皆本は非常に嫌そうな顔をしていはいるものの、薫を気にしているようだった。彼女は心配そうな表情で兵部を見ている。 「おい皆本」 「皆本さん」 賢木と紫穂が同時に皆本の腕を掴んだが、彼は心配ないよ、とふたりに微笑んだ。 「騒ぎを起こさないでくれよ」 「君誰に向かって言ってるんだい?生意気な坊やだな」 舌打ちして、だが兵部はそれ以上苛立ちを見せずに苦笑いを浮かべる。 「まあいいや。じゃあ一時休戦ってことで。そういうわけだから真木、君も殺気放つのをやめるように」 「しかし、少佐」 「それにチルドレンと温泉旅館で一緒に泊まるなんて楽しいじゃないか」 ね、と。 首を傾げて笑いかける兵部に、それぞれ複雑な表情を浮かべる六人であった。 PR |
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