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もうお腹いっぱい、と、食べ始めたときの勢いはどこへやら三分の一ほどを残して兵部が丼を押しやった。取り皿に盛られたサラダはほんの少しつつかれた後があるだけで、それも真木の方へとこっそり移動させてしまった。
「少佐、もうよろしいのですか?」 「うん。ちょっと疲れちゃった」 「そうですか……」 溜息をついて箸を置く兵部を気遣わしげに見て、自分も手を止めた。それでも食事を口にしてくれただけずっとましだ。 「お風呂入ってこようかなあ」 「ダメだよ京介、疲れてる時にお風呂なんて」 「クイーンの言う通りです。部屋へ戻りましょう」 「えー。せっかく温泉に来たのに……」 「さっき足湯に浸かったじゃないですか。寝ろとまでは言いませんから、部屋でゆっくりしましょう」 体を起こしているのもきついでしょう、と小声で言うと、むっとしたような顔で睨まれる。 いくら休戦中とはいえ、敵の前でやりとりする内容ではなかったかもしれない。だが、すでに療養にきた、と言ってしまっている以上いまさら取り繕っても仕方ないのも事実である。 突然、ぶるぶると真木の胸ポケットが振動した。 「失礼します」 兵部に断って、そっと部屋を出る。火を使っていたせいでまだぬくもりの漂う厨房で真木は携帯を耳に押し当てた。 「真木だ」 『あ、俺俺』 「ちゃんと名乗れ、葉」 『分かってるじゃないすか。それより、今からそっち向かいますよ』 「分かった。……ただ、少しだけ厄介なことになっているんだが」 『はあ?』 真木は、おそらく苛立つであろう葉の様子を思い浮かべて眉間のしわをさらに深くした。何度も兵部にやめろ、と言われているが、もう癖になってしまっている。たまに戯れに指でぐいぐい伸ばされるがそのひんやりした手の感触が気持ち良くて、やめてください、と口では言いながらまんざらでもない真木の胸中を、たぶん兵部は正確に読み取っているだろう。 「バベルの連中と鉢合わせした。ただしここにいる間は休戦ということになっている」 『はぁああ?』 携帯の向こう側から剣呑な声が響いた。 心持ち携帯を耳から離して、溜息をつく。 「チルドレンたちと眼鏡とあの医者がいる。少佐の世話を頼んだぞ。絶対騒ぎを起こすな」 少佐は本調子ではないのだから、と言い含めるように重々しく告げる。 『……ちっ。最悪』 パンドラの連中はみな当然だが、特に葉はチルドレンたちのことを良く思っていない。通常であれば相手を挑発して攻撃をしかけるくらいには嫌っている。ただ今回はそうはいかないことを、きちんと理解しているはずである。 「少佐の前でチルドレンたちに攻撃をしかけるようなことがあればただではすまんぞ」 『分かってるよ!』 うるさいなぁ、と小さな声が聞こえたが、聞こえないふりをして通話を切った。 大広間ではなにやら兵部がこの旅館のことを話しているようだ。 「……でさ、そのノートを見れば、昔の不二子さんの字が載ってるはずなんだよね」 「へぇ。あ、だから私たちがここへ行くって言ったとき、ばあちゃんちょっと変な顔したんだ」 「不二子さん知ってるんだ、君たちがここへ来ること」 そう答える声には若干、焦りのようなものが含まれている。 今彼女が乗り込んできたら、太刀打ちできないかもしれない。 だがそんな兵部や真木の懸念をあっさり払拭するように、薫があっけらかんと言った。 「大丈夫だよ、ばあちゃんあれからすぐ寝るって言ってたし、きっとしばらく起きてこないよ」 「だといいけどね」 怖い怖い、とおどけたように肩をすくめて、喉の奥を鳴らして笑った。 「少佐」 「ああ真木、誰から?」 「葉です。これからこっちへ向かうとのことです」 「そう」 にやり、と悪い笑みを浮かべたような気がしたのは、気のせいだろうか。 「いいですか、絶対悪さはしないでくださいね」 「何だよ悪さって。温泉入っておいしいもの食べてのんびりくつろいでいるだけじゃないか」 「いい身分だよなあ」 皮肉ではなく、本心からのセリフなのだろう、賢木が冷酒の満たされたお猪口をぐいと呷った。 「何言ってるんだ。君たちは公僕なんだから、馬車馬のように働いてこそだろ」 「納税なんかしてないくせによく言うよ」 呆れたように皆本が言って、隣りで徳利に手を伸ばした賢木の手を軽くはたいた。 「おまえな、昼間から酒なんて飲むなよ」 「硬いこと言うなって。昼から飲むから贅沢なんじゃねえか」 「だよねえ」 言いながら、どさくさに紛れて別の徳利を握った兵部の細い腕を今度は真木が掴む。 「……少佐」 「硬いこと言うなよ」 「昼間から酒なんて、じゃなくて、あんたもうちょっと大人しくしてられないんですか!」 つい一瞬敬語が飛んでしまった。 ふるふると炭素の髪が小さくうねるのを珍しそうに眺めて、三人の少女たちは何を思ったのか同時に顔を見合わせると肩をすくめるしぐさをした。 「なんか、大変だねそこのふたり」 一緒にされてしまった。 PR |
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