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なぜ戻ってきたのだろう。
兵部は目の前の光景を眺めながらぼんやりと思った。 濡れた肩が寒くて体内に冷たいものが流れ込んでいくような錯覚にとらわれたが、たいした問題ではない。もとより何もかもが冷たい。 (戻ってきたのではないのか?ではずっとここにいた?) 墓は。 墓はどうなったのだろう。 (名前を刻んだ。そうだ、あの木の下だ。あの男が) ふいに顔を上げる。自分を心配そうにのぞきこむ男の顔が、かつてのあの人と重なる。別人だ。全然似ていない。顔のつくりも、匂いも、声の高さも、なによりその手の暖かさが違う。彼はこんなに冷たい手をしてはいなかった。 (……はずだ。たぶん) 唸り声をあげて、大きな黒い獣はとんと床を蹴ると白い猫に襲いかかった。皆本があ、と思う暇もなく猫は身軽にかわして小さくにゃあと鳴くと、誘導するように暗い廊下を駆けていく。淡く白い光が遠ざかっていく。獣がそれを追って舌から粘ついた涎を垂らしなら走った。ふたりの前から獣の匂いと荒い息遣いが遠のいて静寂が戻る。兵部が床に置いた懐中電灯と、皆本が手に持っていたそれの灯りだけがふたりの距離を照らしている。ばちばちと火花の音がして、廊下のあかりが一瞬点いてはまた消えた。電気が復活しそうだ。 「兵部、部屋に戻ろう」 座り込んだままどこかうつろな目で廊下を見つめている兵部の腕を掴んで引っ張り上げた。力の入らない足がぐにゃりと曲がる。腰に手をまわしてなんとか立ち上がるのを助けると、扉が開いたままの部屋へ彼を連れていき座らせた。 「見てくる」 放り出されたままの毛布を肩にかけてやり、彼が何の反応も見せないのを心配そうな顔で三秒ほど見つめてから、皆本は廊下を走った。天井がぶううん、と耳障りな音を立てたかと思うと、ぱっと電気がつく。どうやら停電は解消されたようだ。しばらく頼りない懐中電灯の灯りだけで闇の中にいたので、すぐには目が慣れずにくらくらする。 獣と猫はまだこの屋敷のどこかで戦っているのだろうか。そちらを探すべきか、それとも賢木のところへ行った方がいいか迷ったが、答えはすぐに出た。賢木がずぶ濡れになりながら玄関から駆けこんでくる。 「賢木!大丈夫か!」 「ん、まあ何とか。ちょっと腕引っ掻かれちまった。電気復活したな。中はどうだ?」 「さっき一匹見つけたんだが……。猫と一緒にどこかへ行ってしまった。外へ出て行ったならいいけどまだいるかもしれない。見てくる。おまえは怪我の手当てを」 「兵部は?」 「少し様子がおかしいんだ。見てやってくれないか」 「それはいいけど……」 怪訝な顔をする賢木にうなずいて、懐中電灯をポケットに突っ込むと玄関とは逆の方へと走った。厨房、となりの大広間、中庭に面した廊下。あとはひとつずつ障子を開けて部屋を順に見ていくしかない。 ちりん、と遠くで鈴の音がした。あの猫がつけていた首輪だ。 やはりまだ屋敷の中にいる。 無人の部屋の、床の間に飾られている壺が目について、謝りながら中の水をトイレに捨てて花をテーブルに置いた。心もとないし振り回すにはとてもリーチが短いが武器にしよう。箒ではもっと頼りないし、ゲームではないのだから都合よく鉄パイプや銃がさあどうぞと用意されているわけではない。 「あの猫は何なんだ」 光る猫など見たことも聞いたこともない。 それにあれを見た兵部の様子がどうにもおかしかった。 まるで、夢を見ているような。そんな表情をしていた。 あいつも夢を見るのだろうか、などと、どうでもいいことを思った。 「ったく、ひでぇ目にあったぜ」 タオルでがしがしと頭や服の水滴を拭いながら賢木はぼやいた。 見れば兵部は布団の山を背にして座り込んだままじっとうつむいている。 様子がおかしい、と皆本が言っていた。具合が悪くなったのだろうか。 賢木は兵部のことが嫌いだ。パンドラのメンバーでない限り、彼に好意をもつことは難しいだろう。それでも自分は医者だし、目の前に病人や怪我人がいればどんな極悪人だろうと診る義務があると思っている。自分はバベルのエスパーである前にひとりの医者であり人間なのだ。 「兵部、大丈夫か?」 そっと肩を揺らした。 銀色のふわふわした髪の間から蒼白な色をした顔がのぞく。 眠ってはいなかった。ただ、光を放たない闇色の目はぼんやりとしている。 「兵部」 もう一度今度は強めに肩を揺らし名前を呼ぶと、はっとしたように兵部は顔をあげて、呟いた。 「忘れてた」 「え?」 掠れた声が震えている。 「そうだ、なんでこんな大事なこと忘れていたんだ、僕は」 「兵部?」 何の話だ、と口を開こうとした時、兵部がいきなり立ち上がった。 「おい」 「ずっと待っていたんだ、あいつは!なのに!」 「兵部!」 追わないと、と呟いて兵部が部屋を出ていく。 よろよろと力ない細い体が揺れて賢木の視界から消えた。 「おい、待て!」 PR |
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