見せたかったのはこれだったのだろうか。
見せたかった相手はこの三人だったのだろうか。
がちゃがちゃとドアノブをまわす音がしんと静まり返った廊下に響いた。
いつのまにか、食堂から子供たちの声が消えている。
皆本はドアに手をかけようとして、凍りついたように静止している。
薫は兵部の隣りで胸の前でてのひらを組み合わせたまま動けない。
真木は、うずくまって小さく震える兵部の背中に手をまわした。
「ごめんください」
もう一度声がする。
兵部は、何十年たっても忘れたことのない声を聞いて頭の中が真っ白になった。
憎い、とか、恨んでいる、という負の感情すら湧いてこなかった。
ただひたすら胸の中が熱い。熱くて大きい塊が喉を圧迫しているようにひゅうと音がなって呼吸が苦しくなる。
こうして沈黙がおりていたのは、実際には数秒程度だったのかもしれない。
空気が動いたかと思うと、背後でぱたぱたと小さな軽い足音がした。
「はーい」
無邪気な子供の声だ。
食堂から飛び出してきた黒髪の少年は、玄関ホールで固まっている四人に気付くそぶりも見せず、ためらいなく玄関の扉を開けてしまった。
外から差し込む光は強く皆本たちは目を細めた。
逆光で、扉の向こうに立っている人影は白く浮かび上がりその表情は見えない。ただぼんやりと蜃気楼のようにうごめいて、まぼろしが笑っているようだった。
「ごめんなさい、気付かなくて」
「いいよ、勝手口にまわろうとしていたところだから」
「届け物ってこれですか?」
「そう。男爵に渡してくれ。蕾見くんとふたりでお留守番だろう?大丈夫?」
「平気です。知らない人がきても入れないようにって言われているし、不二子さんが追い帰しちゃうから」
「夜ご飯とかはどうするんだい?」
「缶詰とかありますよ」
おかしい。
真木は目を細めて、やはり慣れることのない奇妙な光景を見つめていた。
自分たちの存在が、あの少年の中から消えている。
薫が息をひそめるようにしてこちらを見る。視線が合うと、真木は首を横にふった。わけがわからない、という意思表示のつもりだった。薫もこくんとうなずいて、一瞬ぎゅっと目を瞑った。
「女中さん追い帰しちゃったのか。まあ、あの人も愛想が悪いよね」
「不二子さん、あの人のこと嫌いみたい。僕もあんまり。超常能力者が嫌いみたいです。あの人に限ったことじゃないけど」
「一緒に住んでいるのにね」
言って、あっけらかんと人に嫌われていることを告白した兵部の、小さな丸い頭を撫でたようだった。
「男爵が帰ってくるまで一緒にいてあげたいけど、これから僕も行かないといけないんだ」
「大丈夫ですってば」
風呂敷に包まれた荷物を両手で受け取りながら、少年は大きくうなずく。
顔を見なくても分かる。
きっと今彼は満面の笑みを浮かべているのだろう。嬉しそうに、無邪気な笑顔を。
「何かあったら連絡しなさい。いくら蕾見くんがいるからって、むやみに玄関のドアを開けたりしないように」
「はい」
「うん。僕には責任があるからね」
「責任ですか?」
「そう。約束もしただろう」
若い軍人は、腰をかがめて少年を目線を合わせた。
「君たちの力は神様から与えられた贈り物だ。大丈夫、何があっても必ず僕が守ってあげるよ」
なつかしいせりふだ、と、薫と兵部は同時に思った。
皆本は、すぐ目の前で繰り広げられる何十年も前の色あせた光景が、まるで自分の過去であるかのような錯覚に陥って動けなかった。
真木は兵部の顔を見ることができなかった。
見てしまえば、きっと人目もはばからず彼を抱きしめていただろう。
これを見せたかったのだろうか。
いや、違う、とすぐにその考えを否定する。
もう一度見たかったのは兵部自身ではないだろうか。
けれど、ひとりで見せられるのに耐えられず、こうして誰かを引きずりこんだのではないだろうか。
もちろんそんなことは兵部に言えなかった。
腕の中で、黒い人影は小さく丸くなって、ただ呆けたようにうつむくだけだった。
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