大丈夫ですか、と、耳元でささやく声を聞いて、真木ははっと我に返った。
つんと鼻の奥を刺激する消毒液の匂いがぼんやりした脳を叩き起す。
二、三度まばたきをして振り返ると、見知らぬ女が困ったように笑っている。
どうやら自分は立ったまま眠っていたらしい。
「みなさんぼんやりなさってますね。お疲れなのではないですか?」
「はあ……。あ、いや」
ようやく、女が看護師であることに気づいて真木はあたふたした。
(あれ?ちょっと待て今どういう状況なんだ?確か……)
少しずつ記憶が鮮明に蘇り、だが理解不能であることに変わりはない。
慌てて周囲の状況を確認するようにぐるりと首をまわすと、覚えのある病室でベッドサイドに立ったまま、窓によりかかっている自分がいた。
見下ろしたベッドにはぞっとするほど顔の白い少年が昏々と眠っている。
布団に隠された細い腕からのびるチューブが一本。
真木の反対側、ベッドを挟み込む形で薫が、その後ろに紫穂と葵が、さらに病室の扉近くに皆本と賢木がやはりぼんやり立ち尽くしたままうつろな目をしていた。
「も、戻ってきた、のか?」
「はい?」
全員がぼんやりしているのは看病疲れとでも思ったのだろう、看護師は優しい笑みを浮かべたまま、椅子に座るように真木に促した。
「いや……大丈夫だ」
「そうですか。では何かありましたらナースコールを押してくださいね」
そう言ってぺこりとおじぎをして出ていく。
真木は兵部の頬に手を置いて、間違いなく体温を保っているのを確認すると、とりあえずすぐ近くにいる薫に手をのばした。
「おい……クイーン?」
「……え?え、あれ?」
「んー……ん?帰ってきた?」
真木の手が薫の肩に触れる直前に、薫がはっとまばたきをして顔を上げた。
同時に他のみんなも目が覚めたらしく、きょろきょろとあたりを見渡している。
「戻ってきたのか?どうやって……」
「皆本、おまえらが何かしたんじゃないのか?俺たちは二階のあの部屋で待ってただけだぜ」
「いや……」
皆本はベッドの方へ近づいて、眠り続ける兵部を見下ろした。
答えようがない。
そもそも、あの男と少年のやりとりを口にするのははばかられた。
それは真木も、薫も同じようだった。
あの後、いったいどうなったのだろう。
いや、おそらく何もなかった。隊長と呼ばれ優しく少年の頭を撫でたあの男はそのまま帰り、兵部と不二子は子供ふたりだけで簡素な食事をとって。
そんな、穏やかな時間に戻って行ったはずだ。
イレギュラーの存在として現れた自分たちは当然認識されていない。
過去にさかのぼったわけではないからだ。
「あくまでも夢、だったわけか」
「結局なんでこんなことになったのか分からなかったわね」
いい迷惑だわ、と呟いて、だが紫穂はいつもの尖ったような視線ではなくどこか心配そうな顔で兵部を見た。
「目、覚まさないね」
「うん……」
まだひとり、夢の中をさまよっているのだろうか。
真木は拳を堅く握り、もしそうであるならもう一度自分を呼んで欲しいと強く願った。
「少佐……」
起きてください、と、皆が見ているのもかまわずに布団の中に腕を伸ばしてぎゅっと冷えた手を握る。
捕らわれてはいけない。
優しい思い出もあるだろうが、もっと大事なものだってたくさんあるだろう。
「そんな心配しなくても大丈夫だって言ってんだろ」
呆れたように賢木が言って、首の骨をごきりと一回鳴らした。
「ほら、俺らは行こう。薫ちゃんたちも宿題あるだろ。皆本も仕事仕事」
「あ、ああ……」
報告書提出しないとな、と思いながら、皆本はもう一度眠ったままの兵部を振り返る。
「じゃあ、何かあったら呼んでくれ。このボタンおしたら直接俺のPHSに繋がるようにしてある。ほとんどの関係者はここの存在知らないから、不用意に外に出て人を呼ばないようにしてくれ」
「分かっている」
これまでも、誰かを呼ばなければならない事態になったことはない。
真木はうなずいて、そばにある椅子に腰をおろした。
何度か振り返りながらも出て行った薫たちを見送りもせず、真木はただうなだれる。
もしかして夢の中で、ひとり苦しんではいないだろうか。
「少佐、そろそろ起きてくださいよ」
その気がないのなら、ひとりで残るようなことをしなければいいのだ。
あちらの世界は兵部の意思どおりには物事が運ばないことを知りながら、それでも真木はためいきをついて、兵部の顔をのぞきこむのだった。
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