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船のステップを踏み歩きながらサロンへ戻ってくると、ちょうど兵部がこちらへ歩いてくるところだった。ぎょっとしたのは何やら禍々しいオーラを放っていたからで、思わず真木は足を止める。少佐、と声をかけようとして口を開いたが、兵部はすれ違いざまにちらりとこちらを見て、というよりも軽く睨んでそのまま立ち止まりもせずに上へと上って行ってしまった。
「ちょ、少佐!?」 なんだ、一体何を怒っているのだろう。 きゅうううん、と胃が縮んだように痛むのをさすりながら慌てて追いかける。いつもの学生服姿の兵部は振り返らずすたすたとデッキを歩いて行った。ひどく機嫌が悪いようだ。 対処法は二択ある。というより、二択しかない、と言った方が正しい。ひとつはこのまま機嫌が直るのを待って放置する。もうひとつは怒鳴られようとサイコキネシスで吹っ飛ばされようと、根気よく気分を害した原因を問いただし排除しさらに自分が悪くなくてもひたすら低姿勢で言う事を聞くという方法である。 これが、相手が兵部でなければ迷わず前者を選ぶ。当たり前だ。メンバーのうち何割かの人間には不本意ながら「真木司郎はマゾではないか」などと噂されているが(どうせ葉の仕業だ)、もちろん真木にそんな性癖はない。いや、たぶんない。だから、仮に紅葉や葉やマッスルや年下の仲間たちがイライラしていようと、それとなく様子を見ながらも無理に話しかけるようなことはしない。だが相手が兵部となると話は変わってくる。話しかけるなと言うオーラを出しつつも、こういうときの彼は、つまり構え、と無言で命令しているに過ぎない。構ったところで怒られるのだが、放置しようが構おうが怒られるのなら彼が望むように動くほかないだろう。紅葉あたりに言わせればこの辺りが「真木ドМ説」の原因なのだが、彼は気付いていない。 ともかく、真木は背中で怒っていることを告げている器用な育ての親に声をかけざるを得なかった。 「少佐、どうかされましたか」 おろおろしながらとりあえず自分に何か非があったかを考えてみた。朝はいつも通りちゃんと食卓でいつもの顔ぶれがそろっていたし、兵部のためにカリカリのトーストとハムエッグ、温野菜とスープ、紅茶をそろえた。文句を言わずに口にしていたのでこれはセーフ。その後読書をしたいと図書館にこもり、お茶の時間に呼びに行って焼きたてのパイを切り分け、子供たちと一緒に食べた。そこまではいい。彼もご機嫌だったはずだ。あれからまだ十五分もたっていない。先に食堂を出て洗濯物を畳む作業を自分がしている間に何かあったのだろうか。 「少佐。あの、本当はパイがお気に召さなかったとか…?」 「はあ?」 やっと振り向いてくれた。返ってきたせりふが「はあ?」である。しかも語尾をたっぷり上げた、あからさまに「なに言ってんのおまえバッカじゃないのこのクズ」とでも言いたそうな目をしている。真木は背中が寒くなるのを感じてぶるっと震えた。雷が落ちる、と身をすくめて怒声を覚悟したが、いつまでたっても降ってこない。 (あれ?) そろそろと目を開けるとすでにそこに兵部の姿はなかった。慌てて周囲を見渡し、船の最先端でぼんやり海を眺めている影をとらえて走り寄る。 「少佐……」 兵部の、どこか遠いものを見る目つきにこんどは先ほどとは違う胃のうずきをおぼえた。まるで別の世界を見ているような、心ここにあらずといった雰囲気にどきりとする。目の前にいるはずなのにここにいない、そんな錯覚。 真木は、どんなやつあたりを受けようが構うものか、と、その場にひざまずいた。 「少佐!」 土下座ともとれる格好で頭を垂れて、叫ぶ。 「お願いです、俺に当たってくださってかまいません、ですからどうか……どうかおひとりで悩んだり、苦しんだりしないでください!あなたはもうひとりではないのですから」 そう、自分はもう子供ではないのだ。少しでも彼の負担や苦しみを受け止めることができればと、ただそれだけを願って必死に能力を磨きあげてきたのだ。 「お願いします」 その悲痛ともとれる声音に、兵部はやっと真木の存在に気付いたかのような顔で振り向いた。 「真木」 「はい」 さあ、何を言われるか。頭上から鋭く重い攻撃が降ってきたとしても避けない自信はあった。 「……じゃあ言うけど」 「はい、何なりと」 やはり何かあるのだ。ごくりと唾を飲み込み、必死の面持ちで顔を上げる。白い顔は無表情のまま、どこかうつろな目でこちらをじっと見つめていた。 「すごく痛くて」 「えっ……?痛いって、もしかして……」 冷や汗がじわりとこみかみを伝った。まさか、心臓が?苦しいのを堪えているあまり怒っているように見えたのだろうか。そうだとすればとんだ失態だ。気付かない自分に腹が立つ。 慌てたように立ち上がり、心配そうに背中に手をまわす部下を見上げて、兵部は今度ははっきりと唇を尖らせ拗ねた子供のような顔になった。 「実は朝から右下の奥歯が痛いんだ。おやつを食べるまではちょっとずきずきするくらいだったのにパイを食べたら猛烈に痛くなった」 「……それは」 パイのせいではない。 「それは、虫歯です!!」 「だよねー」 うんうんそうだよね、と二度三度首を縦に振って右の頬を掌で覆う兵部に、真木は一気に脱力してへなへなと床に座り込んでしまった。 「怒っていたわけではないんですね」 「怒ってるさ!だって歯が痛いんだぜ?理不尽だ」 理不尽なのはアンタだ!! などと、もちろん真木は言わない。ただ、先ほどの兵部がやったように遠い目で海を眺めながら、どうせどんなに腕のいい歯医者へ連れて行ったところでまた機嫌を悪くするのだろうな、と途方に暮れたのだった。 PR |
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