× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
がんがんがん、と遠くで激しい音がして、三人ははっと顔を上げた。
皆本が手に持っていたおにぎりを皿の上に置いて腰を浮かせる。 「いまの、玄関の音だよな?」 「……ノックがしたように聞こえたけど」 「まさか」 それぞれ顔を見合わせて首をかしげる。 「ちょっと見てくるよ」 「いや俺が見てくるよ。どうせ何か倒れて風で玄関のドアにぶつかってるんだろ。ついでにちょっと外の様子見てくるわ」 賢木が皆本を制して立ち上がった。 確かに、雨風の音は激しさを増しているが雨戸を閉めているため外の状況はよく分からない。玄関のそばに立っている木が倒れかけていたりしたら危険だ。 ふいに、兵部が目を細めて何かを聞きとるようにそっと目を閉じる。 「どうかしたか?」 「今何か聞こえなかった?」 「え?」 し、と人差し指をたてて、黙るように促す。 即座に賢木がテレビを消した。 しんと静まり返った旅館に、屋根にたたきつけられる大粒の雨音とごうごうという風の音だけが漏れてくる。 「……何も聞こえないぞ?」 「テレパスで何か感知したとか?」 「違う。何かの鳴き声がした」 「ちょっ、やめろよそういうの」 大げさに顔をひきつらせて賢木があとずさり、壁にべったりと背中をつけた。 そっと部屋の障子をあけて廊下をきょろきょろ見回す仕草に皆本が苦笑する。 「おまえ幽霊とか怖い方だっけ?」 「ちげーよ!でも気持ち悪いだろーが。なんだよ泣き声って」 ぺしっと皆本の頭を叩いておいて兵部をにらむ。 だが、僅かに紅潮している顔でそれまでぼんやりおにぎりをかじっていた兵部はやけに真剣なまなざしでこちらを振り向いた。 「獣の鳴き声。近いよ」 「獣?外の話か。そりゃ何か野生の生き物はいるだろ」 「そうだけど。すぐ近くだよ。いくら山の上だとはいえここには民家があるんだぞ。しかもこんな台風の中降りてくる野生の生き物なんておかしいじゃないか」 「何が言いたい?」 表情をあらためて皆本が聞いた。 確かに、荒れた天気の中、もう日も暮れたこの時間に民家の辺りをうろうろする獣がいるなどあまり気持ちのいいものではない。だが、たとえば雨や風で迷ったとか、食べ物を探して灯りの付いているこの旅館へたどり着いたとか、決してありえないとは言えないだろう。何をそこまで気にしているのか分からない。 「……まあ、いいけど。外をのぞくなら注意しなよ、賢木先生」 「分かってるよ」 変なこと言うから背筋が寒くなっちまったじゃねえか、とぶつぶつ文句を言いながら、賢木が懐中電灯を手に部屋を出て行った。 「どんな鳴き声だったんだ?」 それほど強く注意を促さなかった兵部に、一応世間話をするかのように尋ねる。 兵部はおにぎりを半分ほど残して、眠そうに目を閉じた。 「ううううう」 「え、ちょ、大丈夫か?」 「何がだ。だから、ううううう、ていう唸り声みたいなのが聞こえた気がしたんだよ」 「ああ、なんだ」 どこか苦しいのかと思った、と心底ほっとした顔をした皆本を、薄目を開けて呆れたように見やった。 「気持ち悪い」 「えっ」 もしかして吐きたいのか、と心配そうに顔をのぞきこむ青年に、小さく首を振る。 「すごく大事なことを忘れている気がするんだ。でも思い出せない。気持ち悪い」 「すごく大事なこと?」 「そう」 なんだっけ、と呟く声は小さく、今にも眠りに落ちそうだ。 このまま寝かせておいた方がいいだろう、と思いながらずり落ちた毛布を肩にかけてやり、それでも皆本は聞かずにいられなかった。 「昔ここへ来たって言ってたな。そのときの記憶か?」 「……そう。でもあまり思い出したくない」 「どっちなんだよ」 「分からない」 大事な思い出だけれど、だからと言って昔のアルバムをめくって微笑むような、そんな感情ではないのだと思う。 それでもあの頃が一番幸せだったと、今でも思えるだろうか。 (あの頃と、現在と) けれども今の自分は亡霊であって、もはや自分が幸せか否かなどと考える資格さえないのではないか。未来はその時代に生きる者たちのものだ。そこに自分はいないだろう。 「兵部?寝たのか?」 小さく声をかけてみたが、返事はない。 「あ、そういえば」 かつてロビーにあった受付に、宿泊客のためのノートがあるとか言ってなかっただろうか。 そこには昔ここを訪れたときの、不二子の筆跡があるだろうとも。 「……探してみようかな」 なぜだか、そう思った。 賢木はまだ戻らない。 PR |
![]() |
夢、というほどのものではない。
ただ、現実と夢とが同居していて、視界が二重写しになっているようなものだ。 白昼夢に似ているが、それでもきちんとリアルでの話声や時計の音が聞こえるのだかから、妄想と言った方がしっくりくる。 思い出したくもないのに今でもはっきりと覚えている深い声音と、別に似てるはずもないのにダブって見えてしまう眼鏡の生意気な男の声が重なる。 「……だから、早めに……」 「だな。ん?兵部、起きたか」 「布団行けって言ってるのに」 たたみかけるように話しかけられて、眉間にしわを寄せながら(それは右腕の専売特許なのだけれど)うっすら目を開ける。 とっくに日は沈んでいる時間で、だが降り出した雨風のせいでもうずっと外は暗いので時計の針で確認しなければそうとは気づかなかった。 「何話してたんだ?」 「うん、まだ6時なんだけどさ、早めに夕飯の支度しておこうかと思って」 「……あ、そ」 やけに真剣な表情で大の男が夕飯の支度の相談か。 これが真木相手であれば盛大に突っ込みを入れて爆笑するところだが、何だかどうでも良くなって、曖昧に返事をすると毛布の上に頬をこすりつけた。ふんわりしたそれは上質なものだ。ここへきてすぐに真木が外に干したからだろうか。あの時間はまだ晴天で、ここまで嵐になるとは予想もできなかった。どんなに高レベルのエスパーであっても天気を予測するのは難しいらしい。それが、人間の限界なのだろうか、と考えて、だがテレポートやサイコキネシスといった能力はやはり不可能を可能にしてしまう力なのだから天気予報ができないのはおかしい、とも思う。しかし予知能力を少しだけ持っているカガリが、天気予報士の予報を覆したことはない。 (変なの) 「どうした?」 「ちょっと、天気について考えてた」 「は?ああ、雨止まないな」 勝手に納得したように皆本はうなずいた。 ちかっ、と部屋の電気がまた一瞬暗くなる。 「おにぎりでも作っておくか。まだ腹は減ってないけど、夜食用に」 「あと蝋燭。あるかな」 「たぶん」 ばたばたと再び停電時の準備を始めるふたりを億劫そうに眺めて、もしかしてこいつら、楽しんでないか?と思う兵部であった。 そう、まるで台風で停電が起こってきゃっきゃと騒ぐ子供のような。 (昔は、怖かったけどな。暗いのとか、激しい雨とか) 真っ暗闇の中で揺れる蝋燭の灯りはとても不吉で、上空で唸る戦闘機の音に不安を覚えた。自分たちに戦う力はあるけれど、一緒に地下で戦略を練る大半の軍人はただのノーマルで、もっとも信頼を置いていた男にも武器で戦う以外何の力もなかったのだ。 ちょっと空を飛んで行って、うるさいハエを落とせばいいじゃないか。 そう軽く考える程度に子供は幼く、無邪気で残酷だったけれど、それでも夜の闇と絶え間なく続く雨の音は、爆撃よりはるかに恐ろしかったのだ。 誰かの腕に抱きしめられる暖かさに安心するほどに。 ぼんやり頬杖をついてテレビを眺めながら、葉はもう何度目になるかも分からない溜息をついた。すぐ隣りのリビングでは、老夫婦とチルドレンたちが何やら楽しげに会話を交わしながらおやつを食べている。 ふいに雨の音を割るようにして、遠くで犬の遠吠えが響いた。 長く尾を引く鳴き声はたまにテレビなどで耳にする切ない声ではなく、力強い。 はっとして顔を上げたのに反応して薫が振り返った。 「あ、いまの。さっき言ってた野犬だね」 「ああ、まただねえ。あれは不吉だねえ」 のんびりとお茶をすすりながら老婦人が顔をしかめる。 「山の上の旅館は大丈夫かね。まあ、もう昔の話だから気にすることはないけれど」 それは、季節にそぐわない怪談ではなく現実の話だった。 一年か二年に一度、この周辺の山に入ったものが野犬に襲われるという事件。 毎年、このふもとの街と山の集落の役場や消防団が野犬狩りを行っているのだが、当然全滅させるようなことはできずに犠牲になる人間が後を絶たないのだという。 (まあ少佐が犬に襲われるようなことはないだろ) ありえない、と首を振って、ぞくぞくと寒気がするのは気温が下がっているからだろうかと肩を震わせた。 「おばあちゃん、昔の話って、あの旅館で何かあったの?」 老婦人のせりふに引っかかったのか、紫穂が急須に新しいお湯を注ぎながら尋ねた。 「そうそう、まだ旅館が盛況だった昔ね、ちょうどこのくらいの時期に湯治にきた若者が旅館の中で死んでいたという事件があったの」 「うぇ、何それ」 「もしかして野犬の仕業?旅館の中なのに?」 「そういう話だね。長く生きる生物は化けるからねえ」 「そんなアホな」 狐や狸じゃあるまいし、と笑いながらも葵の顔がひきつる。紫穂も若干顔色が悪くなった。彼女は怪談が大嫌いなのだが、葉はそれを知らない。 「平気だろ。あっちには化け物より強いのがいるし」 「男三人もいて犬に襲われるって、ありえへん」 それが、ただの犬ならば。 チカチカと電気がちらついた。 「ああ、懐中電灯と蝋燭を用意しておこうかね」 「それとご飯もね」 ゆっくりと老婦人がたちあがり、隣りに座っていた薫が椅子から飛び降りて彼女を支える。 チン、と昔ながらの黒電話が一瞬鳴った。 「ん?」 葉は立ち上がり、気温の低い廊下に出て、電話の受話器を持ち上げる。 「あれ、ツーツーて鳴ってるけど……故障か?」 「ねえ、携帯のアンテナ立ってる?」 メールを送ろうとして失敗した紫穂が、いったんあきらめて待ち受け画面を見つめた。 薫たちも自分の携帯を取り出し、やがていっせいに首を横に振る。 「おかしいな、台風のせいかな?」 薫が言い終わらないうちに、ふっ、と部屋の電気が消えて、紫穂が小さく悲鳴を上げた。 |
![]() |
飛んで行ってしまう!と、誰かが叫んだ。
守らなきゃ、あの人が残そうとしてくれた小さな墓を。 彼が石の破片で削ったあの跡は、年月とともに掠れてしまいわずかな傷にしか見えないけれど、それでも大事な思い出の一部だった。 命あるものはいずれ消えてしまうのだよ。 だから、死んでしまう前に精いっぱい生きなければならないのだ。 「お国のために?」 当然のように尋ねる子供に、男はひどく複雑な顔をした。 その理由を、一度聞いてみたいと思いながらそのまま忘れてしまっていた。 彼は国を守るためならその手をどれだけ汚しても構わなかったのだろうか。 ではそのために自分は殺されたのだろうか。 国のために? では、国のために戦った自分は、一体なんなのだろう? 「兵部、おい」 遠くでやけに焦ったような声がした。だるくて目を開けていられない。意識が浮上すると同時に寒いな、と思ったが、肩は分厚くて重い何かがかけられていて、寒いのはそこからはみ出した腕や顔なのだと、ようやく認識した。 だったら全部丸まってしまえ。 再び眠りに落ちて行こうとする。 「おい!」 今度は強く肩を揺すられた。 せっかく気持ちよい浮遊感に漂っていたのに。 兵部は不機嫌そうに目を開けて、こちらをのぞきこむ男を見た。 たいちょう、と無意識に口が動いて、慌てて跳ね起きるように体を起こした。 声に出なくて良かった、と内心胸を撫で下ろす。 「大丈夫か?こんなところで寝るから」 「……寝てたんだ、僕」 「そりゃあもうぐーすか熟睡してたぞ。テレビ見てるのかと思ってたけどやけに静かだったから見たら寝てるし」 賢木は立ち上がって、空調を調節した。少しだけ部屋の温度を上げる。 結局物置に突っ込まれたままのストーブは役に立たず、古い空調設備に頼るほかないようだった。ちかちかと何度か電気がちらついて不安をあおる。外は風がますます強まってがたがたと雨戸を揺らしていた。屋根にたたきつけるような雨音は激しく、テレビの速報が大雨強風注意報が発令された地域をずらずらと流している。 部屋の隅に積まれた毛布が気持ちよさそうで、兵部は毛布にくるまったままずりずりと移動してふわふわの山に体を倒した。はみ出した足を折り曲げて胎児のように体を丸めてみる。 「おまえ大丈夫か?」 同じ質問を繰り返して、皆本が兵部の肩に触れる。必要最低限のESPのみを除外してそっと封印しているため彼の心は読めないが、伝わるてのひらの温度が暖かくて、本当に心配されているようだと思った。真木よりは若干小さめだが、彼よりは体温が高い。 「賢木、体温計あったよな」 「確か救急箱に入れてきただろ」 用意がいいな、と苦笑しながら、応急処置用のガーゼや風邪薬などが入った箱を旅行用鞄から取り出して、体温計を手渡した。 「ほら兵部、これで熱測ってみろ」 「ん」 そうか、だるいのは熱が上がっているからか。 今更のように納得して、文句を言う気力もなく素直に受け取る。 ゴォォォン、と地響きのようなものが鳴った。同時に電気がちかっとまた点滅する。 「今の雷か?」 「皆本、携帯鳴ってる」 「あ」 きっと薫たちからだろう。 皆本は慌てて携帯のボタンを押して耳に押し当てた。 「もしもし?ああ薫か。そっちは大丈夫か?戻ってこれそうか?」 『それが、ダメみたい。山道が土砂で埋まっちゃったって。あと今の音、たぶんがけ崩れが発生したんじゃないかって、おばあちゃんが』 携帯の向こうから薫の声が漏れ聞こえてくる。 「おばあちゃん?」 『商店のおばあちゃん。旅館に戻れないようなら泊めてくれるって言ってる』 「代わってくれ」 薫と、商店のおばあちゃんとやらが交代したらしく、皆本はひたすら低姿勢になってぺこぺこ頭を下げ始めた。 ぴぴっと小さな電子音が鳴る。 賢木が手を伸ばしてきたので、兵部は自分で表示を確認しようともせずに手渡した。 「ちょうど38度か。おまえ平熱どのくらい?」 「知らない。36度くらいじゃない?普通」 こいつは平熱低そうだな、と思いながら、賢木の手が兵部の額に触れようとする。 さっきは振り払われたが、前髪の上からぺたりと手をつけても今度は何も言われなかった。苦しそうな様子はないが、ぐったりと体の力を抜いて毛布の山に横たわる少年の体が頼りなく見えて、心もとない。 「解熱剤飲んでおくか。ちょっと水とってくるから」 賢木が部屋を出るとすぐに皆本が携帯をこちらへ向けてきた。 「おまえの部下から」 「葉?」 受け取って、耳に押し当てる。 「もしもし?」 『少佐!悪い、そっち戻るの遅くなりそう』 「いいよ。それよりチルドレンたちを頼むよ」 拗ねたような、それでいてこちらの身を案じているのだろう心配そうな声音につい笑みが零れる。 『なんで俺がこいつらの世話なんか』 言いかけて、葉のそばでぎゃんぎゃん文句を言っているらしい少女たちのにぎやかな声が聞こえた。 「ふふ。まあ仲良くしろよ。こっちは心配ないよ」 『……本当に?』 「平気だって。雨が止んだら帰っておいで」 『了解。あ、それと……』 何か言いたげな葉の言葉をさえぎるように薫の声が響く。 『京介!ちゃんと寝てなきゃだめだからね!犬に気をつけてね!』 「は?」 何の話だ、と疑問に思う暇もなく、後ろから手が伸びて皆本が携帯を奪った。 「薫、ちゃんとそちらのご夫婦のいうことを聞いて、おとなしくするんだぞ」 (犬?) くどくどと過保護なせりふを垂れ流すのを聞き流しながら、兵部は再び毛布にくるまった。 犬ってなんだ。 |
![]() |
「雨ひどくなってきたな」
障子を小さく開けて賢木が呟き、部屋へはいりこんでくる強くて冷たい風にぶるりと体を一瞬震わせてからすぐに閉めた。テレビでは緊急ニュースが流れており、皆本が真剣な表情で見つめている。 台風は勢力を増して拡大しており、予想以上の速さでこのあたりへと接近しているらしい。 天気予報はいくら外れても文句を言われるだけだから呑気だよな、とふたりは罪のないアナウンサーを渋い顔で見た。 ぺたぺたと足音がして、廊下がきしむ音が近づいてくる。 入るよ、という声と同時に遠慮なく扉が開いた。返事をする暇もない。 「おまえな」 呆れて声をあげると、浴衣姿の兵部が悪びれもせず笑った。 「暇なんだもん」 「だからって……」 わざわざ嫌いな敵の元まで構ってとやってくるか普通、と片方の眉をあげながら賢木は舌打ちした。 見れば皆本は嫌そうな顔を瞬時におさめて、お茶の支度などしている。 もてなそうとしているのではなく、おそらく無意識の行動だろうと思った。 この甘いお坊ちゃんはどこまでも律儀な男である。嫁にしたいくらいだ。 促されるでもなく、兵部は部屋の隅に積んである座布団を引っ張ってきてテレビの向かい側に座り込んだ。差し出された熱いお茶を両てのひらで包み込んで息を吹きかける。 「台風、直撃コース?」 「みたいだな。雨風が強くなる前にあいつら帰ってくればいいんだが」 「そうだよね。さすがに飛べないしね、これじゃ」 雨の中のテレポートも無理だろう。 ふもとの街からこの旅館まで直でテレポートできればいいが、そううまくいくだろうか。できたとしても、そうすると葉がひとり取り残されることになる。置いてけぼりを食らって彼が平然としていられるはずもなく、怒りにまかせて車を破壊しかねない。 「おまえ寝てなくていいのか?」 「寒いんだよあの部屋。隙間風入ってくるのかなあ」 「山の上だから冷えるしな。ストーブは?どこかに仕舞ってあるんじゃないのか?」 「僕にそれをやれって?」 睨まれて、皆本はなんて面倒な奴だと嘆息した。わがまま言いたい放題の年寄りめ。 そこまで考えて、思考を読まれたかとあわてて兵部を見返したが、彼はぼんやりしたままだるそうに頬杖をついてテレビを見つめている。毛布でも持ってきてやろうか、などと甘いことを思ったのは、やけに彼の肩が寒そうだからだろうか。あのふわふわの桃太郎がいないのも原因だろう。あれは実に暖かそうだから。 「隣りの部屋に布団敷いてやろうか?」 つい口に出してから、はっと皆本は顔を赤らめた。相手はあの最強最悪のエスパー犯罪者なのだ。これではまるで子供か無力な老人を相手にしているようではないか。 気まずい沈黙が数秒続いて、兵部がゆっくりと顔をあげると馬鹿にしたような表情を浮かべてせせら笑った。 「なんで?」 「……いや、ええと……」 怒ったのだろうか。照れている様子ではない。皆本にも賢木にも、兵部の扱い方が分からない。考えたこともない。 しどろもどろになってしまった皆本を助けるように、賢木が兵部を指差した。 「おまえが具合悪そうにしてるからだろ。このお坊ちゃんはそういうの見逃してらんねーの。いくら敵同士でも心配してやってんだよ」 「え?」 その言葉に、兵部がぽかんと口を開けた。 (なんだその顔は) 彼は心底驚いたらしい。まじまじと皆本の顔を見つめて、やがてぷっと笑った。 「なんでそこで笑うんだ!」 恥ずかしさのあまりに怒鳴る皆本に、兵部はひらひらと手を振ってなだめるように笑いを引っ込める。 「いや、ごめん。別に馬鹿にしたわけじゃなくて。君たちはおもしろいね」 「はあ?」 腹の中ではごちゃごちゃとしたものを抱え込んでいるくせに、相手が病人だから、という理由だけで普通に面倒を見ようとしているところが。 とても、おもしろいと思った。 ちかっ、と部屋の電気が一瞬光った。 「うわ、こりゃやばいな」 三人とも上を見上げて、顔を見合わせる。 「風が強いから、停電になるかもな」 「ちょっと僕懐中電灯探してくるよ。ここに集めておこう」 「そうだな。俺もちょっと準備しておく。兵部、おまえここにいろよ」 「大げさじゃないか?たかが台風だろ」 皆本と賢木が同時に腰を上げたのに対して兵部が呆れたような声をあげた。 「備えあれば憂いなしって言うだろ。ついでにストーブか電気カーペット探してくるよ」 その言葉に、兵部は何も言えなかった。 「何だ、じゃあ別にあんたが食べたいわけじゃないんだ」 薫に言われて、馬鹿にされたと思ったのか葉がむっとしたように彼女をにらんだ。 「しょうがねえだろ。俺料理できねーもん」 「皆本はんに頼んだらええんとちゃう?昼ごはんの時も一緒やったで?」 「本当、人がいいんだから」 一個98円のカップめんを手にしてじっと見つめている葉に、葵と紫穂も声をかける。 突風が吹いて、店のガラス戸ががたがたと不満げな音を立てて揺れた。 「ああ、こりゃいけないな。雨戸閉めておかないと」 「お嬢ちゃんたち、大丈夫かい?山の上の旅館まで帰れるかい?」 店の老夫婦が心配そうに外を眺める。きっと葉とチルドレンの組み合わせを、兄妹かそれに似たものだと思っているだろう。 「この辺りは地盤が緩いからねえ。この間の大雨の時もがけ崩れが起きて大変だったんだよ」 不吉な言葉を吐いた老婆に、彼らは肺の中の息を吐き出して、灰色の空を見上げた。 |
![]() |
とりあえず、自分でも使えそうな食材があるだろうか。
うんざりしながら厨房へと向かっていた葉は、さほど足を進めないうちに廊下であまり聞きたくない声を聞いて立ち止まる。同時にぺたぺたと足音が響いて、角を曲がってこちらへとやってくる相手に苛立ちを隠そうともしなかった。 「あ、」 最初に声をあげたのは薫だ。隣りには皆本がいて、彼は手に浅めの皿を持っていた。中には丁寧にウサギ型に切り分けられたリンゴが載っている。 「真木さん、もう帰っちゃったの?」 「……おう」 薫や皆本からはそれほど敵意を感じない。 休戦状態にあるというのは本当だろう。葉は自分が勝手に天敵だと思っている、紫穂や賢木がいないのに内心ほっとした。 「これ、あいつに」 「……少佐に?」 「ああ。さっきあんまり昼飯食べられなかったみたいだし。おまえは?食事は済ませてきたのか?」 なんでこいつは、敵方の食事の心配などしているのだろう。 すっかり気がそがれて疲れたように息を吐いた。 「朝遅かったからいらない。それよりさあ、カップ麺とかレトルトとかある?」 遠慮がちに皿を受け取りながら尋ねると、薫が笑いながら、 「ないよ。皆本も先生もそういうの嫌いだし。真木さんも野菜とか果物とかはたくさん持ってきたみたいだけど、レトルトもカップ麺もないよ」 「まじかよ」 予測はしていたが、こうもはっきり否定されるとがっかりだ。 「ん?何だおまえかよ」 皆本たちの背後で声がして首をのばすと、思った通りあのヤブ医者が現れた。 舌を出して威嚇してみせたが、鼻で笑われてしまった。 (むかつく) だが、それよりも大事なことがあるのだ。 怒りをいったん収めて(だが賢木たちには葉の子供っぽいしぐさに呆れただけだった)殊勝な顔を作って見せた。 「あのさあ、車貸してくんない?」 「車?」 確かにここへは車で来たけれど、と皆本は眼鏡の奥の目をぱちぱちさせた。 「そ。ふもとの町まで行きたいんだ」 「おまえちゃんと免許持ってるんだろうな?」 「あるよ。外国のだけど」 嘘である。 だが、真面目に免許をとった真木の運転をいつも見ていたし、偽造の免許証だってあるからいいのだ、と心の中で言い訳しながらへらりと愛想笑いを浮かべてみた。案の定賢木に疑わしげな顔で睨まれる。 免許証を見せてみろ、と言われたら、個人情報だぞ!と言ってごまかすつもりだった。 「……そりゃ雨の中飛べとは言わないけど、大体のものならそろってるぞ?」 「カップ麺食べたいんだって」 薫がフォローするように言ってくれたが、誤解されているようである。 だが、まさか料理ができないから買い出しに行くんだなどと恥ずかしげもなく暴露できるはずもなく、葉はあいまいにうなずいた。 「そうまでして食いたいのかよ」 呆れたように言って賢木が腕を組んだ。 「皆本、私も行きたい。おやつ買いそびれちゃった」 「おまえな……」 「薫ちゃんが行くなら私も行くわ!」 「うちもや!」 「うわっ?」 突如として、ふたりの少女が現れる。テレポートしてきたのだろう。 「……久しぶりね鳥頭のお兄さん」 「……そうだな、いい性格してる女帝さま」 ふたりが火花を散らしてにらみ合う。 「……まあまあ。どうする皆本?」 攻撃的な青年は危険だが、チルドレンが三人一緒なら平気だろう、と皆本は賢木に苦笑してみせた。 「わかったよ。けど台風が来てるみたいだし、気をつけろよ」 「非常食も買い込んでくるね。しばらく山降りられなくなったら困るもんね」 「帰るって選択肢はねーのかよ」 放り投げられた車の鍵を受けとめながら葉は期待を込めて提案してみたが、三人の少女たちが一斉に首を横に振った。 「ありえない!」 「……あっそ」 そっけなく返して、リンゴを少佐に渡してくる、と部屋へと戻りながら、後ろで「玄関で待ってるから!」と叫ぶ薫の声を背中で受け止めた。 なんだか面倒なことになってきたな、と思いながら、リンゴをひとつ失敬して口の中に放り込む。じんわりとした甘さが広がふと同時に、うっとうしい雨の音が少しだけ激しくなったような気がした。 |
![]() |