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片づけは私たちがやる、としおらしげなことを言い出した少女三人が厨房の洗い場へ引っ込むと、自然と敵味方に分かれた男どもがのんびりとお茶をすするちょっぴりシュールな光景となる。真木はちらちらと腕時計に目をやりながら、針が動くのを内心びくびくしていた。本当はこんな場所に一秒たりともいたくない。それにこんな状況で葉と交代して、はたして何事もなく済むだろうか?
ふいに兵部が湯呑を押しやるとべったりとテーブルに突っ伏した。 「少佐、大丈夫ですか?」 慌てて薄い肩に手をかけて顔をのぞきこむ。 兵部はわずかにぼんやりした表情で、銀色に鈍く輝く髪の隙間から忠実な部下を見返した。 「眠くなってきた」 「部屋へ戻りましょう。ああ、食後のお薬を飲まないと」 水をとってきます、と立ち上がって、一度部屋を出ようとしたところで再び戻ると着ていた上着を脱ぎいそいそと主人の肩にかけた。 どう見ても、浴衣の上に羽織った羽織りの上に大きな黒いスーツの上着は不釣り合いだが、それ以上に、サイズの大きなそれに埋もれてしまう体がやけに頼りなく見えてしまいかえって不安を煽る、と真木はちらりと思った。 「甲斐甲斐しいよねえ」 ぽつりと兵部が呟く。 くもぐってよく聞こえなかったが、耳ざとく皆本がそれを拾って兵部の顔をのぞきこむように頭を下げた。 「おまえ熱あるんじゃないか?顔赤いぞ」 「パンドラの首領も風邪をひくのか」 「君、僕を何だと思ってるわけ?」 「いや、べつに……」 おそらく医者としての無意識の行動なのだろう、(普通なら兵部相手にこんなことは絶対にしない)賢木がす、と腕をのばして兵部の額にてのひらを当てようとする。触れる直前で、兵部は煩わしげにそれを振り払った。 「触るなよ」 「可愛くねえジジィだな」 「悪かったね」 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽ向く。 コップに水を注いで真木が戻ってきた。ポケットから透明の袋を取り出し、開けようとしたところではっとする。 「少佐、お部屋へ」 「そうだね」 大量に薬を飲む様を見せるわけにはいかないだろう。 真木に腕をつかまれて兵部がよろりと立ち上がった瞬間、がんがんがん、と玄関の扉を乱暴に叩く音が響いた。 「おーい開けろよー。ていうか破壊していいー?」 「……来たみたいだね」 「葉、ちょっと待ってろ!それと破壊するなっ!」 長い廊下の向こう、玄関の外へ向けて真木が怒鳴り、それでも兵部をゆっくりと支えて部屋へと連れて行く。 残された賢木と皆本は、顔を見合せて、間違いなくこの先ひと悶着あるだろうと溜息をついた。 「ねえ、玄関の鍵開けてきた方がいい?」 濡れた手をぬぐいながら薫たちが戻ってくる。 「そんな必要ないわよ。というより私、あの鳥頭大嫌いなんだけど」 「紫穂ってば……」 むっとしたように言い放つ紫穂に、薫が困ったように皆本を見た。 どういうわけか、彼女は葉という男を毛嫌いしているらしい。 薫は彼が、兵部のことが大好きだと、家族だから助けたいのだと必死で食い下がったあの光景ばかりを覚えているのでそれほど悪いイメージは持っていなかった。何がそんなに紫穂の逆鱗に触れたのか知らない。 「まあ、ここで喧嘩をすることはないんだし、きっと兵部や真木が説得するさ」 「だといいんだけど」 それでも信用ならないわ、と頬を膨らませて、紫穂はどさっと乱暴に座布団に座った。そそくさと葵が彼女にお茶を渡す。 「あ、」 ふいに薫が顔をあげて、外の中庭に通じる障子を開けた。 「雨降ってきた」 賢木がテレビのリモコンをたぐりよせて電源を入れると、ちょうど天気予報士が大きな天気図を指しながら深刻な表情で、警告しているところだった。 「……地域はこれから暴風域となるでしょう。付近の住人のみなさまはじゅうぶん警戒して下さい。また山沿いではがけ崩れにご注意下さい」 「え、台風きてんの?」 不安げに空を仰ぐと、どんよりと灰色の厚い雲が地上を覆っていて、まだ昼間にも関わらずすでに夕方のように暗かった。 「最悪!びしょぬれじゃねえか!」 ぷりぷりと怒りながら、葉がタオルで乱暴に頭をかきまわす。 もとより癖の強い髪の毛がよけい逆立って、まるで寝起きの子供のようだ。 「ごめんごめん。まさかこんなに風が強いなんて」 軽く手を振って笑いながら、座椅子から末っ子を見上げ、兵部は肩をすくめてみせた。 「ちぇっ。途中ふもとの町に買いものに寄ろうとしたけどできなかったじゃん」 「買い物?」 「必要なものは一通り買い込んでいるぞ」 何を買うつもりだったんだ、とふたりが怪訝な表情で首を傾げると、葉は拗ねたように唇を尖らせながら、言った。 「食い物。だって俺料理とかできねーもん」 そもそも病人食なんてお粥くらいしか作れないのだと下唇を突き出してタオルを放る。 「いやだろアンタ、そういうの」 「嫌だね」 「ほら。だからカップ麺でも調達してこようと思ったんだよ。どうせ真木さん高級食材はそろえてるんだろうけど、俺そういうのあっても使えねえから。残念だけど」 「……そうだった」 うかつだった。 だが、真木のタイムリミットはすでに一分オーバーしている。 「真木はここから直接仕事に行くから車使うしね。さすがにびしょぬれのスーツ姿で交渉相手と会うのはどうかと思うし」 そうなのだ。天気予報にまで気が回らなかったのは非常に珍しい。それほど兵部の容体を気にしすぎていて、肝心なところがすっぽり抜けてしまっていた。そもそも葉を応援に呼ぶ時点で、自分が兵部の世話をするようにはいかないことを考えておくべきだったのだ。 「ほらほら、行った行った」 急かすように真木の背中を軽くサイコキネシスでぐいぐい押して兵部が追い出そうとする。 何とか踏ん張りながら、真木は情けなく眉尻を下げながら、深々と頭を下げた。 「すぐに戻ります」 「いいよ別に」 「行ってらっしゃーい」 あっさりと軽く手を振られて、真木は肩を落とすのだった。 ひどく嫌な予感がする。 PR |
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もうお腹いっぱい、と、食べ始めたときの勢いはどこへやら三分の一ほどを残して兵部が丼を押しやった。取り皿に盛られたサラダはほんの少しつつかれた後があるだけで、それも真木の方へとこっそり移動させてしまった。
「少佐、もうよろしいのですか?」 「うん。ちょっと疲れちゃった」 「そうですか……」 溜息をついて箸を置く兵部を気遣わしげに見て、自分も手を止めた。それでも食事を口にしてくれただけずっとましだ。 「お風呂入ってこようかなあ」 「ダメだよ京介、疲れてる時にお風呂なんて」 「クイーンの言う通りです。部屋へ戻りましょう」 「えー。せっかく温泉に来たのに……」 「さっき足湯に浸かったじゃないですか。寝ろとまでは言いませんから、部屋でゆっくりしましょう」 体を起こしているのもきついでしょう、と小声で言うと、むっとしたような顔で睨まれる。 いくら休戦中とはいえ、敵の前でやりとりする内容ではなかったかもしれない。だが、すでに療養にきた、と言ってしまっている以上いまさら取り繕っても仕方ないのも事実である。 突然、ぶるぶると真木の胸ポケットが振動した。 「失礼します」 兵部に断って、そっと部屋を出る。火を使っていたせいでまだぬくもりの漂う厨房で真木は携帯を耳に押し当てた。 「真木だ」 『あ、俺俺』 「ちゃんと名乗れ、葉」 『分かってるじゃないすか。それより、今からそっち向かいますよ』 「分かった。……ただ、少しだけ厄介なことになっているんだが」 『はあ?』 真木は、おそらく苛立つであろう葉の様子を思い浮かべて眉間のしわをさらに深くした。何度も兵部にやめろ、と言われているが、もう癖になってしまっている。たまに戯れに指でぐいぐい伸ばされるがそのひんやりした手の感触が気持ち良くて、やめてください、と口では言いながらまんざらでもない真木の胸中を、たぶん兵部は正確に読み取っているだろう。 「バベルの連中と鉢合わせした。ただしここにいる間は休戦ということになっている」 『はぁああ?』 携帯の向こう側から剣呑な声が響いた。 心持ち携帯を耳から離して、溜息をつく。 「チルドレンたちと眼鏡とあの医者がいる。少佐の世話を頼んだぞ。絶対騒ぎを起こすな」 少佐は本調子ではないのだから、と言い含めるように重々しく告げる。 『……ちっ。最悪』 パンドラの連中はみな当然だが、特に葉はチルドレンたちのことを良く思っていない。通常であれば相手を挑発して攻撃をしかけるくらいには嫌っている。ただ今回はそうはいかないことを、きちんと理解しているはずである。 「少佐の前でチルドレンたちに攻撃をしかけるようなことがあればただではすまんぞ」 『分かってるよ!』 うるさいなぁ、と小さな声が聞こえたが、聞こえないふりをして通話を切った。 大広間ではなにやら兵部がこの旅館のことを話しているようだ。 「……でさ、そのノートを見れば、昔の不二子さんの字が載ってるはずなんだよね」 「へぇ。あ、だから私たちがここへ行くって言ったとき、ばあちゃんちょっと変な顔したんだ」 「不二子さん知ってるんだ、君たちがここへ来ること」 そう答える声には若干、焦りのようなものが含まれている。 今彼女が乗り込んできたら、太刀打ちできないかもしれない。 だがそんな兵部や真木の懸念をあっさり払拭するように、薫があっけらかんと言った。 「大丈夫だよ、ばあちゃんあれからすぐ寝るって言ってたし、きっとしばらく起きてこないよ」 「だといいけどね」 怖い怖い、とおどけたように肩をすくめて、喉の奥を鳴らして笑った。 「少佐」 「ああ真木、誰から?」 「葉です。これからこっちへ向かうとのことです」 「そう」 にやり、と悪い笑みを浮かべたような気がしたのは、気のせいだろうか。 「いいですか、絶対悪さはしないでくださいね」 「何だよ悪さって。温泉入っておいしいもの食べてのんびりくつろいでいるだけじゃないか」 「いい身分だよなあ」 皮肉ではなく、本心からのセリフなのだろう、賢木が冷酒の満たされたお猪口をぐいと呷った。 「何言ってるんだ。君たちは公僕なんだから、馬車馬のように働いてこそだろ」 「納税なんかしてないくせによく言うよ」 呆れたように皆本が言って、隣りで徳利に手を伸ばした賢木の手を軽くはたいた。 「おまえな、昼間から酒なんて飲むなよ」 「硬いこと言うなって。昼から飲むから贅沢なんじゃねえか」 「だよねえ」 言いながら、どさくさに紛れて別の徳利を握った兵部の細い腕を今度は真木が掴む。 「……少佐」 「硬いこと言うなよ」 「昼間から酒なんて、じゃなくて、あんたもうちょっと大人しくしてられないんですか!」 つい一瞬敬語が飛んでしまった。 ふるふると炭素の髪が小さくうねるのを珍しそうに眺めて、三人の少女たちは何を思ったのか同時に顔を見合わせると肩をすくめるしぐさをした。 「なんか、大変だねそこのふたり」 一緒にされてしまった。 |
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うつむいたまましゃがみこんで地面を眺めていると、いつの間にか頬を涙が伝っているのに気づいた。かさりと人の気配を感じて慌てて手首で拭い、何事もなかったかのような顔を作って振り向く。
子供のしぐさではない。ましてや、まだ十歳かそこらの、泣いたり笑ったりといった感情をむき出しにして当たり前の年である。 けれど、その子供は自分が人とは違う事を知っている。 「まだこんなところにいたのかい」 優しい男の声が降り注いで、再び涙がこぼれそうになった。ぐっと唇をかみしめて堪える子供の表情に、男が僅かに眉をひそめた。 ぽん、と頭に置かれた手のひらは暖かく大きい。 しばらくそうしていたが、やがて男は彼の頭から手を放すと、隣りにしゃがみこんで、地面に落ちている石の破片を拾った。 「?」 何をしているのだろう、と不思議に思って見ていると、男はその石の尖った部分で木の幹をがりがりと引っ掻き始めた。 無言でそれを見守る子供に振り向いて男は笑った。 「ここに印をつけておこう」 いつまでも忘れないように。 いつまでも見守ってくれるようにと。 その言葉に、子供は嗚咽を漏らして泣き始めた。 そっと抱きしめられる腕が暖かくて、涙が止まらない。 ****************************** 「ずいぶん遅かったね」 部屋へ兵部を起しに行こうとしていた真木は、厨房の隣りの大広間から彼の気配を敏感に感じ取って方向転換した。中をのぞくとすでに温泉から上がったらしいチルドレンたちが赤らんだ顔で座っている。宴会場のような広い畳の広間に大きな食卓が六つほど並べてあり、そのうちのひとつに兵部とチルドレンたちが一緒に座っていた。 紫穂や葵は困惑した表情を浮かべていたが、拒否はしなかったらしい。確かにこれだけ広い部屋で遠くに離れて座るのも変な気がするから、これでいいのだろう。 「申し訳ありません、実は……」 「はいよいっちょあがり!」 真木の後ろから賢木ば大きなお盆を手に現れる。 「先生」 「いやー、さすがに麺打ちから始めるとは思わなかったぜ。さすが天才」 「天才の使い方間違ってない?」 非常に的確な突っ込みが紫穂が入れて、賢木と一瞬睨みあった。 「なに、まさか麺から打ったわけ?」 「はあ……」 皆本と賢木が粉まみれになって麺を打つのを半ば唖然としながら眺めていた真木だったが、彼らが麺を手作りするのに対して敬愛する兵部にスーパーで買った麺で蕎麦を出すのは非常に抵抗を感じたらしい。気づけば皆本の指導のもと何だかんだでよいしょーっと麺打ちに参加していたようだ。 「ぷっ」 「笑わないで下さいよ!」 想像して吹き出した兵部に、真木は顔を真っ赤にしながら叫んだ。 「ふうん、でもおいしそうだね」 「さっきからびったんばったんやってるから何してるのかと思った」 呆れたように薫が言って、だが賢木と真木がそれぞれ丼をテーブルに置いて行くのを見て嬉しそうな笑みを浮かべる。 「本当だ、おいしそう」 「皆本さんは?」 「ああ、あいつは付け合わせのおかず作るってさ。そっちのふたりの分も一緒に作ってくれるらしいぜ喜べ」 「ふん。頼んでないけどね」 「可愛くねえなぁ……」 鼻を鳴らす兵部に賢木はむっとして歯を剥いたが、どちらも本気の表情ではない。真木は複雑な顔をしたが、ここは喧嘩をする場面ではないだろうと文句を飲みこんだ。まずは兵部に食事をきちんととってもらうことが最優先である。 「どうでもいいけどさあ、君のその格好どうにかならないわけ」 ずるずる麺をすすりながら兵部は向かいに座る真木をちらりと見た。 「はい?」 「はい、じゃないよ。温泉旅館に来てまでスーツっておかしいだろ。せめて普段着にしろよ」 「いえ、しかしこれから仕事に戻りますし」 「あ、そうだった」 皆本が盆に天ぷらやサラダを乗せて運んでくる。 「これ、好きに取って食べていいから」 「どうも」 大皿に山のように乗せたおかずを指して言う皆本に、兵部は軽く返事をして取り皿を受け取る。 「真木、さん。これから仕事なの?」 箸をくわえて薫が尋ねる。 「京介具合悪いんでしょ」 「大丈夫、あとで葉がくるから」 「……あのガキがくんのかよ」 嫌そうに賢木が舌打ちした。 「あのバカは?桃太郎もいないし」 あのバカ、と言うのは澪のことだろう。気にかけるような薫の言葉に、兵部はくすりと笑って熱いお茶をすする。 「澪は学校。桃太郎はパティ……他のメンバーと一緒にアキバに行っちゃったよ」 澪はともかく、ももんががアキバに何の用があるのか。 皆本たちは非常に気になったが、素知らぬ顔で黙々と食事を続ける兵部に何も言えず、無言で勝手な想像をしていた。 「……ま、まあももんがだってアキバくらい行くよな」 取り繕うに皆本が言って、ハハハと乾いた笑い声が響く。 いや行かないだろ。 そんな突っ込みをするべきか否か、真木は真面目に三十秒ほど悩んだ。 |
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皆本たちは、10畳ほどの和室を二間続けて使用することにした。
部屋はいくらでも空いているが、厨房は当然ひとつしかないわけで、自然と厨房やロビーに近い場所を選ぶことになる。 「うわあ、庭園露天風呂だ!」 「これ混浴?」 「え!きゃぁぁ」 「こらこら」 庭に広がる広い天然露天風呂を見てチルドレンたちがはしゃぐ。 荷物を置きながら、皆本と賢木は苦笑した。 「あいつらどの部屋使ってるんだ?」 「さあ……。でもどうせ食事はしなきゃいけないわけだし、離れまでは行かないだろ」 しかし、あの長髪の男がエプロンをつけて兵部のために料理をするのだろうか、と想像すると何だかおかしい。いや、それはちょっと失礼か。 ひとつ屋根の下、すぐ近くに敵の首領と幹部がいると思うとちょっぴり妙だが、仕方ない。しかしやりあう気はないと言ってはいるがどこまで本気だかわからない。 緊張を緩めるわけにはいかないだろう、と心の中で自分に言い聞かせる皆本の肩を賢木がぽん、と軽く叩いた。 「兵部のやつの具合があんまり良くないっていうのはたぶん本当だろう。顔色悪かったしな。あまり警戒しすぎる必要はないと思うぜ」 「賢木」 「それにほら、せっかく有給使って来たんだし楽しもうぜ」 ほれ、と目を向けると、薫たちはさっそく箪笥の引出しから浴衣を引っ張り出して、お風呂セットを用意しているところだった。 「まずはこの旅館で一番大きい露天風呂よね!」 「せやな!」 「ロビーの向こう側だったよね?早く行こうよ」 キャッキャしながらタオルを手に持って、三人がちらりと男たちを見る。 「皆本と先生は行かないの?」 「うーん、僕たちはちょっと休憩してから行くよ」 「運転し通しだったしな。先に茶でも飲むかな」 「そう。じゃ、行ってきまーす!」 少し疲れた顔を見せる皆本を気遣ってか、それほどがっかりした様子もなく三人は部屋を出て行く。 「変なジジィに気をつけろよー」 「はーい」 一応、兵部のことを意識して忠告してみたのだが。彼女たちはあまり気にも留めていないようだ。 「それより皆本、お茶」 「て、自分でやれよ!」 おまえは亭主関白か、と突っ込みながら、皆本は上着を脱ぎながらいそいそとお茶の用意にとりかかるのだった。そろそろ昼食の準備をした方がいいだろう。 賑やかでいいよね、と笑いながら、兵部は障子を開け放した。 涼しい風が吹き込んでくる。山の上はもう秋だ。揺れる木の葉もそろそろ赤や黄色に染まる頃だろうか。少し天気が悪いのが気になるが、ピクニックへ行くわけではないので多少雨が降ったところでそれすらも良い音色に聞こえるだろう。 縁側へ出て庭を眺めているとちょうど薫たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。同時にぱたぱたと廊下を走る軽い足音。意外と近くの部屋に落ち着いたようだ。 「少佐、あまり風に当たるとお体が冷えますよ」 部屋の中で荷物を整理していた真木がやんわりと説教じみたことを言う。 「このくらい平気だよ。まだ昼なんだし」 「いえ、このあたりは空気が冷たいですし」 せめて上着を、と差し出された羽織を仕方なさそうに受け取って肩にかけた。 この調子では、露天風呂に入りたい、と言っても速攻でだめだと言われるだろう。 ふだんなら、やりたいことはやるし真木の忠告などまるで無視して行動するのだが、さすがに今の状況でそれは気が引ける。心配されるのが心地よい、という意識も働いて、珍しく今日の兵部は大人しい。 「少佐、あまり部屋を出てうろうろしないで下さいよ。チルドレンやメガネたちに会うと厄介ですから」 「そう?別にいいじゃないか。それにどうやったってどこかでは顔を合わせるだろうし、ここにいる間くらいは友好的にやったって罰は当たらないぜ」 「馬鹿なこと言わないで下さい、やつらは敵ですよ!」 「固いこと言うなよ」 ぎりぎりと眉間に皺を寄せながら無意識に髪をうねらせる真木に笑って見せる。 この分では夕方からの仕事をキャンセルしてやっぱり残ります、などと言い出しかねない。だが、予定されている仕事は大きなもので、兵部が顔を出すはずだったものだ。代りを務められるのは当然ナンバー2の真木くらいのもので、それを放り出すことはパンドラという組織を担う幹部として褒められたものではない。 「それより食事はどうするんだい?あんまり食欲はないけれど、蕎麦くらいなら食べられるかな」 本当は何も食べる気分ではないが、あまり心配させると本当に仕事を放り出しかねないので、一応優等生じみた事を言ってみる。それに葉と交代すれば、きっとあの年若い部下兼養い子は多少羽目を外したところで真木のように堅苦しい説教などしてこない。真木には悪いがもう数時間の辛抱だ、と自分に言い聞かせる。そうでもしなければ遊びたいといううずうずした気持ちを抑えられなくなってしまう。 ふふ、と息を吐くと、敏感にそれを察知して真木が何か言いたげに口を開け閉めした。 「お部屋にお持ちしますよ」 「厨房の隣りの大広間でいいじゃないか。ここまで持ち運びするの面倒だろ」 「いえ、お持ちします」 あくまで頑なに、部屋から出るな、と主張する。 しかしさすがに兵部もむっとして、首を振った。 「嫌だ。広間で食べる。昨日だってそうしたじゃないか」 「しかし」 「できるまで寝てるから、準備できたら呼んでくれ」 「あ、ちょっと!」 それだけ言って、部屋に入ると座布団をふたつに折り曲げて横になってしまった。 臍を曲げる直前、といった様子に、真木は深く嘆息しながら布団をかけ、障子を閉める。 「分かりました」 それでも食事をとってくれるのはいいことだ、と、自分に言い聞かせて、真木は立ち上がった。持参したエプロンももちろん装着済みである。 きちんと髪を束ねながら、その外見とは裏腹に所帯じみた仕草でぺたぺたと廊下を歩く真木だったが、暖簾をくぐって厨房に足を踏み入れたとたんどっと後悔した。 「よいしょぉ!」 「もっともっとー!」 「あらよっと!」 「ほいさー!」 なにやら餅でもついているようなかけ声。 「……何をやっているんだきさまらは」 「あ、兵部の部下の」 皆本と賢木が、粘土の塊のようなものを台に叩きつけている。ふたりとも白い粉まみれだ。 「ええっと……そば打ち」 「……………」 なんだか頭が痛い。 |
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「ないなあ」
かつて宿泊客の受付をしていたのだろうカウンタの下にもぐりこんで、兵部はさほどがっかりした様子もなく呟いた。そばでは真木はがハラハラしながら見守っている。 「管理人が所有しているのでは?さすがにこんなところに置いて行ったりはしないでしょう」 「そうかなあ。でもほら、宿泊客が自由に書き込めるこのノートは残ってるよ」 取り出したそれは、埃まみれの、革の表紙を使った一冊の分厚いノートだった。 表には墨で【ご自由にご記帳下さい】と書かれている。 あまり興味なさそうに差し出されたそれを受取って、ぱらぱらとめくってみた。 質の悪い紙に様々な字体で、客が好きに書き連ねている。 日付は昭和15年から16年あたりのものだった。 「たぶん、不二子さんの筆跡が残ってるんじゃないかなそれ」 「え?」 「ここへ来たのって確かその辺りの年だったから。僕が10歳くらいだね」 真木は紙をめくる手を止めた。 「少佐、もうよろしいでしょう。部屋へ戻りましょう」 ここへ着いてすぐに、ロビーや屋敷の中全体の空調を整えてはいるが、ふたり以外誰もいない広い屋敷はどこか空気が冷たい。埃っぽい気がするのも真木は気にかかっていた。もう少し丁寧に掃除をしてほしい。だがふだんほとんど使用されていないのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。 「あれ、誰かくる」 「え?」 ふいに兵部が顔を上げて玄関を振り返った。 真木の耳に車の音が聞こえてくる。 「他にも宿泊客がいるのでしょうか」 貸し切りだろうと兵部が言ったのでここを選んだのだ。 他に誰かくるなら、そしてそれがノーマルであればただちにここを出たい。 というよりも、正直この旅館に辟易していた真木は、他人がくることによって兵部が「帰ろう」と言い出すのを期待していた。 やがてエンジンの音が止まって、磨りガラスの向こうに複数の人影がうつる。 「あれ、鍵あいてるね」 「貸し切りじゃなかったん?」 「ぎりぎりになって他の宿泊客が予約入れたのかもしれないね。でもまあ、広いから平気だろう」 よく知った声がする。 ぎょっとして真木が兵部を振り返るのと、扉が開くのが同時だった。 「あ」 先頭に立っていた皆本と、兵部の声が重なる。 カウンタのそばでしゃがみこんでいた兵部は立ち上がって、あっけにとられた顔をしていたがすぐに改めた。 「……まさか君たちとかち合うことになるとはね」 「げ、兵部!」 「え、京介!?」 次々と皆本の背中から身を乗り出して、チルドレンたちが声を上げた。 「少佐、ここは俺が……」 すかさず戦闘態勢に入る真木だったが、ぽん、と腕を叩かれる。見下ろす顔は笑みを浮かべていた。ゆるりと腕を組んで兵部はカウンタにもたれかかる。 「ここでやりあう気はないよ。邪魔だっていうなら帰るけど」 「少佐!こいつらに気を使う必要がどこにあるですか!せっかく療養にきたんですよ!」 「あれ、君ここ嫌なんじゃなかったの?」 「そ、そういうわけでは」 見透かされていたようだ。 ぐっと言葉に詰まる真木をからかうように見て、どうする、と問いかけるように皆本に視線をうつした。 顔をひきつらせたまま皆本は硬直している。 「どうするの、皆本さん」 「ねえ、別にやりあう気ないって言ってるし、いいじゃん」 「ちょっと薫ちゃん」 紫穂が薫の袖を引っ張った。 「療養って?」 しばらく無言で成り行きを見守っていた賢木が進み出た。 さりげなく皆本たちを守るような位置に立つ彼に、真木も緊張する。 彼はサイコメトラーだ。戦力的には全く問題ではないが、チルドレンと連携されると厄介だろう。それにあの男は皆本にはない独特の雰囲気をまとっている。喧嘩慣れしている、とでも言うのだろうか。 「調子が悪いからのんびり静養にきた。それだけ」 「……本当か?」 「そんな嘘ついてどうするんだい?言っただろ、嫌なら帰るよ」 むっとしたように目を細めると、短く真木を呼んだ。 心得ている真木はうなずいて、荷物を取りに行きましょうと兵部の背を軽く押した。ひとりでここに残すことはできない。 嘆息して促されるままに歩きだそうとした兵部を止めたのは皆本だった。 「……分かったよ。僕らだって休暇できたんだし、わざわざ面倒事を起こす気はない。そっちが戦う意思がないのなら見なかったことにする」 「ん?」 振り返ると皆本は非常に嫌そうな顔をしていはいるものの、薫を気にしているようだった。彼女は心配そうな表情で兵部を見ている。 「おい皆本」 「皆本さん」 賢木と紫穂が同時に皆本の腕を掴んだが、彼は心配ないよ、とふたりに微笑んだ。 「騒ぎを起こさないでくれよ」 「君誰に向かって言ってるんだい?生意気な坊やだな」 舌打ちして、だが兵部はそれ以上苛立ちを見せずに苦笑いを浮かべる。 「まあいいや。じゃあ一時休戦ってことで。そういうわけだから真木、君も殺気放つのをやめるように」 「しかし、少佐」 「それにチルドレンと温泉旅館で一緒に泊まるなんて楽しいじゃないか」 ね、と。 首を傾げて笑いかける兵部に、それぞれ複雑な表情を浮かべる六人であった。 |
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