犯罪超能力集団の首領であり、世界で最も凶悪なエスパーのひとりと言われている外見15,6歳実年齢80越えのじいさんが、「電車に乗りたい」などと言い出したものだから、パンドラの本拠地カタストロフィ号の一角では早朝からちょっとした騒動が起きていた。
いつものように学生服を身につけて左肩にももんがを乗せ、じゃあ行ってきますと堂々と出かけようとした兵部にまっさきに声をかけたのは右腕であり兵部が最も信頼を置く部下の真木である。
「少佐、どちらへお出かけですか」
「どこだっていいじゃん」
「よくありません。外出するなら俺も行きます」
まるで保護者のような顔でそう告げる真木に、兵部はむっとしたように唇を尖らせる。
「何でわざわざ引率者の顔した子供を連れて行かなきゃいけないんだよ」
<引率者の顔をした子供>とは言いえて妙ではあるが、真木はぐっと突っ込みたいのを堪えてこっそり体の後ろで拳を握った。
「おひとりでは危険です。あなたはもっと組織の長としての自覚を持って行動するべきです。我々パンドラはもはやバベルを超える巨大な組織に成長しました。バベルもブラックファントムも目を光らせて監視していると思われます。長であり象徴であるあなたがいつどこで危険な目に合うか分かりません」
「長い。三行で」
「トシヨリハ
ダマッテ
センベエ クッテロ」
「黙れげっ歯類それ4行になるじゃないか」
ぺいっと桃太郎をテレポートでどこぞへ追いやって、こめかみに青筋をたてる。
「少佐、ふざけないでください。大体どうして電車なんかに乗る必要があるんですか」
自分を含め、パンドラのメンバーでテレポート能力や空を飛ぶレベルの力があるものは普段公共の乗り物など利用しない。街で行動するとしても車や二輪が主で、堂々とバスや電車にのるエスパー犯罪者というのも想像するとちょっとシュールである。
「電車に乗りたいっていうか、ホームに行きたいっていうか」
「意味が分かりません」
相変わらず支離滅裂な言動の上司である。
真木は頭を抱えたいのを堪えて我慢強く問いただした。
無意識にうねる黒く長い髪を見ながら、兵部はわずかに視線をそらし、明後日の方向を見つめながら言い訳がましく、
「君はたいやきを食べたことはあるかい」
「……たいやきですか。たいやきってあのたいやきですか」
「そうだよ。毎日毎日鉄板で焼かれてやんなっちゃってるあのたいやきくんだよ」
かわいそうだよね、などとくだらない同情をしながらうなずく。
そろそろ本気で頭痛がしてきた真木だったが、ここで怒っては負けなのは長年の経験で分かっているので、どうにか冷静な表情を作りながら咳払いをした。
「そのくらいは知っていますが食べたことはありません。それが何か」
「型に生地を差し餡を軽く乗せて、生地の周囲が乾き始めたら千枚通しで型から引きはがし、反対側の型に生地を流し込んで完全に流し込む直前で反対の板と合わせるんだ。その後きつね色になるまで焼くんだよ。周りがぱりぱりなのがおいしいよね」
「よくご存じですね」
どうしてたいやきの作り方を知っているのか甚だ疑問ではあるが、真木の質問に対する答えにはなっていない。
どうやら兵部はまともに会話をする気はないらしい。
「あそこのたいやきおいしかったなあ」
「もしかして、それが駅のホームに売られているんですか?」
「そう言っただろ」
「言ってませんよ全然言ってません」
それを食べたいだけなら、他のメンバーを行かせたらいいではないか、と忠告しようと真木が一歩踏み出した瞬間、目の前の空間が歪んで、吸った息を吐ききる前に兵部は姿を消してしまった。
「少佐あああああああ!!」
もういやだ。
目に涙を浮かべてひとしきり泣きごとを頭の中で並べたてて三分後、ようやく立ち直ると慌てて彼の後を追うべく世界各地に配置している通称どこでもドア超空間バージョンへと走って行った。
「というわけで買ってきた」
「それを何でわざわざ僕の所へ持ってくるんだ」
これ以上ないくらいの迷惑な顔をしながら仁王立ちする皆本を、兵部は口をもぐもぐさせながら見上げた。
「ふぁっふぇ君もたふぇたいふぁと思っふぇ」
「食べながらしゃべるな!」
「うっ、げほげほげほ」
途端に咳きこみだした兵部に、皆本は慌ててキッチンへ走りコップにミネラルウォーターを注いで差し出す。
涙目になりながらそれを必死で飲み下し、兵部はようやく大きく息を吐いた。
「あー苦しかった。死ぬかと思った」
「おまえ、たいやき食ってて喉につまらせて死ぬなんて恥ずかしいにも程があるぞ」
「しかもこんなところで?」
パンドラの首領、たいやきを喉に詰まらせバベル職員の住居で窒息死。
シュールだ。
「でも残念なお知らせがあるんだ」
「はいはいそうですか。もういいからそれ食ったら帰れよ」
そろそろ薫たちが帰ってくる、と時計を気にする皆本など目に入らないかのように、兵部はまだいくつか入っている袋を掲げて見せた。
「たいやきが売ってなかった。これ回転焼きなんだよね」
食べる?とひとつ取り出して差し出してきた丸いそれを反射的に受け取って、皆本は反論する気力もなくかぶりついた。
「これじゃ食べた気にならないよね」
不本意そうな表情の兵部に、皆本は口の中の餡子を飲み込んで、兵部の目の前でふわふわ浮いているコップをつかむと一気に残った水を飲み干した。
「ていうか、一緒だろ」
「違う!全然違う!!」
大げさなほどに怒りを表す兵部を、なんだか奇妙な生物を見る目でしばらく眺めてから、皆本はリビングの窓を全開にして叫んだ。
「おたくのじいさんを早く引き取りに来てくださああああああい!!」
「がっかりするだろ!たいやき食べたいのに回転焼きだとなんか負けた気がするだろ!なあ皆本!?」
それよりも蒸し暑い梅雨到来の時期にそんなもん食うなよ、という皆本の小さな突っ込みは、生ぬるい風に吹かれてむなしく飛んで行った。
そろそろあの炭素男がたいやきを片手にお迎えに来る頃だろう。
ていうか来てください。まじで。
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「組織に属しているからと言って、別に会費とってるわけでもないし首からカード提げてるわけでもないしね」
「カードですか」 「リボンでもいいけど」 「リボン」 羽根にするとまた違う団体になっちゃうね、とくすくす笑う養い親兼上司に、真木は胡乱な眼を向けた。 「でも一定のルールというのは必要だ。君がいつも新人に言い聞かせていることだよ。言ってごらん」 「マニュアルを作成しているわけではありませんが。そうですね、兵部少佐が絶対であるということ。我々パンドラは少佐が創設された少佐のための組織であるということくらいでしょうか。生活の細々したことは、そのつど教えるようにしていますが。理念としては・・・」 「あーもういいや」 いまさら何を尋ねるのか、と最近とれなくなってきた眉間の皺を深くして律義に答えてみたものの、兵部は聞いているのかいないのか、適当に相槌をうちながら、ふわふわ浮いたまま腕を組んだ。 「人にそれを言うということは君は実践しているわけだ」 「していませんか」 「してる、してる」 自分で聞いたくせにあしらうような返事に、真木はわずかに頬をひきつらせる。 わざと怒らせようとしているようにしか思えないが、この人の言動は常に自分を試すようにそうする癖がある。つまり、怒ったらその時点で負けなのだ。一度この人に反省という言葉を知っているか聞いてみたい。だが聞いてみたところで彼はたぶん、やっぱり適当な返事しかよこさないに決まっている。 『そういうの、しない主義なんだ』とかなんとか。 「それで、なにがおっしゃりたいのです」 「あれ、分からない?ダメだなあ。それじゃ僕の右腕は務まらないぜ?君は僕に絶対服従なんだろう?そんなこと命令した覚えはないけど」 「命令などされなくても、俺はあなたのために働くことが誇りですから」 真面目に言ったつもりだったが、きっちり三秒間停止した兵部はぷっと吹き出した。失礼にもほどがある。 「よく真顔でそんな恥ずかしいこと言えるよね」 「なっ、何なんですかさっきから!何かおっしゃりたいことがあるならはっきりそう言えばいいじゃないですか!」 ぷりぷり怒り始めた真木に兵部はけらけら笑いながら涙をぬぐった。 「そうだった。本題に入ろう」 「長い前振りですね」 精一杯嫌味を言ったつもりだったが、軽くスルーされてしまった。 人間八十年も生きていると都合の悪いことは聞こえなくなるらしい。ある意味うらやましい技とも言える。絶対真似したくない。 「君はこの間、せっかくみんなが開いてくれた僕の誕生日パーティで大騒ぎをやらかしてくれたね」 「すでに間違ってるんですが」 大騒ぎしたのは誰だ、と心の底から突っ込みたい。 だが訂正しようとした真木をさえぎり、兵部は一気にまくしたてた。 「君は全然打ち合わせどおりに動かなかったらしいじゃないか。紅葉も葉もパティもがっかりしていたよ。あとで見せてもらった進行表によるとあのあと君は全裸でリボンをぐるぐる巻いて僕の部屋で一晩明かす予定だったじゃないか」 「あのですね少佐、」 「僕としてもがっかりだ。そりゃパーティは楽しかったしみんなに感謝してるけど、真木、君の失態は降格の上減給ものだよ」 「給料をもらった覚えはありませんが」 完全歩合制の犯罪組織に、考課表も月給制も存在しないのである。 やったもん勝ち、ぶんどったもん勝ち、別に一戦闘員のままで良いのなら、招集命令が出ない限り、自分が生活するのに困らない程度に何かしら仕事をすればそれで良い。当然非戦闘員や子供たちの生活は完全に保障されているが、真木にしても他のメンバーにしても、自分の小遣いは自分で稼ぐのがルールである。もちろんそこに給料明細もボーナスも存在しない。組織拡大のために大きな仕事を請け負ったとしても、真木はその分け前を多く受け取ろうとしたことはない。 と、たらたら正論を頭の中で繰り広げてはみたものの、口にする前にやっぱりさえぎられた。 「だから罰をくれてやる」 「ええええ!?すでにあれが罰ゲームだったような気がしますが!?」 何故、組織のナンバーツーであり兵部の右腕というありがたい地位に立っているのにこんな仕打ちを受けなければいけないのか。 たまに、一日に三回程度だが、真木は考える。 メンバーの食事を作って、兵部の分を別に作りなおし、着替えを手伝い、彼の部屋の掃除をし、わがままに振り回され、無茶な命令に半泣きで答え、通常の仕事をこなし、組織としてのメンツを保つために様々な交渉ごとを指揮し、夜になれば半々の確率で寝ているところを襲われる。 泣きたい。 「泣けば?」 冷やかな声が頭上から降ってくる。 「泣きません。それで、罰って何です」 「うん、この間できなかったことを今やってほしいな」 「何です?」 「僕を全力で口説け」 悪魔のしっぽが見えた気がした。 「く・・・どく、ですか」 「そう。僕を感動させてみろ」 「来世の幸福のために善行をなせと」 「それは功徳。犯罪組織の一員が善行をなしてどうするよ」 「ですよね」 うなずいて、真木は考え込んでしまった。 いったいどうしろというのか。 そもそも自分はそう語彙が豊富な方ではないし、ましてや誰かに対して愛の告白などしたこともない。 それに近いものならば、さっき兵部に言ったような気がするのだが、彼はそれでは満足しないらしい。 「ほら早く。あ、言っておくけど好きですとか愛してますとかそういうのはなしな」 「だ、だめですか」 先手を打たれてしまった。 そろそろ日も沈みかけ、自分たちが浮いている空は紫色へと変化している。ビルの谷間に隠れようとしている太陽は不気味なほどオレンジ色に光っていて、禍々しささえ感じた。下界に目を向けると電柱のてっぺんには鴉が陣取って、巣へ帰れと雄たけびを上げている。 そうだ、早く帰って晩御飯の支度をしなければ。 「ええと・・・」 無意味な声を上げてからちらりと兵部を見ると、彼は腕を組んだまま微動だにせずこちらを見つめていた。 混乱する脳を必死でフル回転させながら真木は考える。 晩御飯、晩御飯。いや違うそうではない。 「あ!ええと、み・・・」 「・・・み?」 「みっ、味噌汁を毎日食べて下さい!」 「・・・・・・・・・・・・・・あ?」 低い声がして、冷たい風が吹くと同時に一気に体温が下がった気がした。 怖々と兵部の反応を伺うと、どうやら彼は座った目でこちらを睨んでいるようだ。 だめだったらしい。 「・・・・・・何それ?ねえ何だそれ?説明してくれないか」 「いえ、ですから・・・。言うじゃないですか、君の味噌汁を毎日飲みたい、て」 「言わないよ。ていうか何それ」 「ええと・・・」 何年か前に見たテレビドラマで、いちゃいちゃカップルがそんな会話をしていたのをおぼろげに覚えていたので実践してみたのだったが。 (・・・は!違う!あれはプロポーズだ!!) がくっと兵部が姿勢を崩した。 慌てて支えようと腕を伸ばしたが、冷たく振り払われる。 「もういいや帰る。君に期待した僕が馬鹿だった」 「え!?ちょっと待って下さい!もう一度チャンスを」 「ばーかばーか。君はそこで頭冷やしてこいばーか」 悪態をついて、兵部はくるりと背を向けると、さっさと飛んで行ってしまった。 「待って下さい少佐!」 慌てて大声で呼びながら追いかける。 どうやら怒らせてしまったようだ、と真木は冷や汗をかきながら、ものすごいスピードで飛ぶ兵部を必死に追いかけた。 その差はぐんぐん開き、これ以上離れてしまえばどんなに叫んでも声が届かなくなるだろう。 「少佐!」 肺いっぱいに薄い空気をとりこんで叫んで、右腕を突き出す。 「ずっとそばにいて下さい!」 つい出てしまったせりふに、真木自身も驚いてしまった。 まるで小さな子供が駄々をこねているようで恥ずかしい。 顔を赤くしながら唇を噛みしめると、遠くにあった小さな体がどんどん大きくなるのが見えた。前方を飛ぶ兵部がスピードを落として、そのまま止まったのだ。 背を向けたままなので表情は分からない。 やっとの思いで追いついて、真木は何と声をかけるべきか悩んだ。 すでに太陽は完全に沈み、限りなく黒に近い濃紺に星たちの姿が見える。 これほど高い場所ならば、地上のネオンの光に惑わされる事なく月や星を見ることができる。手を伸ばせば届きそうなほどにそれは近い。 「あの、少佐」 どうしようか、と思いながら兵部の肩に触れられるほどに近いところへ移動すると、月明かりに照らされた詰襟からのぞく白い首がうっすら赤くなっているのに気づいた。 「ばっかじゃないのか」 「え」 兵部が小さく毒づいた。 だが、せりふと表情が合っていない。 (そんな顔で言われても) つい彼の体を抱きしめたくなるのを堪えながら、真木はそっと彼の前方に回り込んだ。 「いつまでも、ガキみたいなこと言いやがって」 唇を尖らせて睨む彼の方がよっぽど子供っぽいではないか。 むっとしたようにそっぽ向いた敬愛するその人に笑いかけて、右手を取った。 「帰りましょう。夕食を作らないと」 何が食べたいですか、と尋ねると、こちらを見ようともしないまま兵部はぎゅっと手を握り返して、言った。 「味噌汁」 |
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「いやだからさ、それじゃ意味ないじゃん?むしろ嫌がらせじゃん?」
どこかおもしろがっているような、それでいて若干焦りを含んだ声がして、兵部はうっすら目をあけた。小声でぼそぼそ会話をしているということはおそらく内緒話のつもりなのだろう。こちらがぐっすり熟睡しているものだと信じているらしい。 ここで飛び起きて「何の話?」と聞いてやってもいいが、彼らが非常に深刻そうな雰囲気を放っていたので、とりえあず寝たふりをして盗み聞きをすることにした。 「葉先輩は考え過ぎです。少佐だってきっと喜びます!ぷぷっ」 「いやおまえ絶対変なこと想像してるだろ?俺が言ってるのはじじぃは喜ぶかもしれないけど、それじゃ真木さんがかわいそうだって言ってんの」 「少佐が喜ぶならいいじゃないですか」 「いやいいけど。でも俺がおもしろくないからダメ」 「それは嫉妬ですね?ジェラシーというやつですね?」 「おまえね・・・」 だんだんヒートアップしてきたのか、もはや内緒話のトーンを明らかに崩し始めている。 それにしても何の話をしているのだろう。 (僕は喜ぶけど真木がかわいそうってなんだ?) おもしろいじゃないか!とすぐさま割って入りたい。ああもどかしい。 だがどうも人が寝ているそばで相談しているにも関わらず本人には秘密にしたいらしいので、葉はともかくとしてここで台無しにしてしまってはパティがかわいそうだ。 「紅葉はどこ行ったんだよ、もう」 「さっきケーキを買ってくるといって出て行きました」 「あっそ・・・。うーん困ったな。大体真木さんが悪いよな。こういうときこそナンバーツーが率先して指揮をとるべきなのに」 ちぇっ、と拗ねたような顔をしているのが目に浮かぶようだ。 (あ、鼻むずむずしてきた) 一度気になるともうどうしようもない。 兵部はくしゃみを我慢するためにぎゅっと唇をかんだ。 (何の話してるんだよ) 数秒の沈黙の後、ひそひそ話が再度声を落として再開する。 「仕方ないか、真木さんぎりぎりまで仕事だもんな。気にしてるだろうなあ」 「きっとプレゼント持って帰ってきますよ。きっと夜のグッズがたくさん・・・ぷぷっ。はっ、そっそれはらめぇぇ!」 「しーっ!バカ声がでかい!少佐が起きちまう!ていうか何想像したんだこら」 もうとっくに起きているのだが。 それでも、ふたりがはっとしてこちらを振り向いて確認しているのが分かるので、なるべく兵部は呼吸を整えて寝たふりを続けた。演技力には自信がある。ちょっとヒュプノでもかけてやればあの鈍感眼鏡を口説き落とすことだって楽ちんだろう。 (一度やったしな。あの反応は爆笑ものだった) 思い出し笑いをしそうになって、慌てて兵部は心を無にしようと努力した。 無我の境地だ! 「・・・大丈夫みたいですね」 「真夜中まであのげっ歯類とゲームやってたからな、まだ起きないだろ。ったくガキみたいだよな本当」 (おまえが言うな!) むっとしてもじゃもじゃの頭を叩きたい衝動に駆られるが、ぐっとこらえる。 と言うより、なぜここまで忍耐してまで寝たふりを続けているのだろう。 「少佐を喜ばせる仕掛けを作るのが今回の私たちの任務です。他にいい案があるなら良いですが、さっきから何もアイデア浮かばないじゃないですか」 「うっ・・・」 (ははーん。見えてきた) さっきから何を言っているのかと思えば、だ。 うっすら目を開けてふたりの後頭部を確認してから視線を上へずらすと、大きなカレンダ―に赤い丸がついている。 (せいぜいびっくりしてやろうじゃないか) いい加減祝われるほどめでたい年でもないのだが、それでもやっぱり嬉しいものは嬉しい。生まれてきてくれてありがとう、なんて。 あまり深く考えるといろいろな思いが交錯してつい憂鬱になったりもするが、彼らが自分に内緒で仕掛けをしているのだというのなら存分に乗ってやろうではないか。 「あーわかったよ。それでいこう。本当に用意してあるんだな?」 「任せて下さい!」 「ていうか何でそんなもん持ってるのか聞いてもいいか」 「乙女の秘密です」 「・・・・・・・・乙女、ねえ」 複雑そうに葉が呟き、呆れたように頭をかいた。 「オーケー、んじゃ、真木さんが戻ってくる前に準備整えておくか。あと逃げられないように他のみんなに通達出しておかないと」 「小さい子たちは飾り付けしてますから、あれを扉や窓にたくさんはりつけておけばそれを破って逃げようなんて思わないんじゃないでしょうか」 テレポートできないんだし、とパティ。 「お、いい考えだ!よし、んじゃおまえはそれを部屋から持ってくる。俺はちびどもと飾り付けを大量に作る。それでいいな」 「了解」 どうやら話は決まったらしい。 ふたりが立ち上がる気配がして、兵部は慌てて寝返りを打って背中を見せた。 葉がこちらを近づいてきて顔をのぞきこみ、きちんと寝ているのを確認するとかけている毛布をそっと顎の下まで引き上げる。 「もうちょっと、寝ててくれよな少佐」 小さく言って離れて行く。 ああ、こんなふうに人を気遣うようになったんだな、と兵部はちょっぴり感慨深い溜息をついた。 うああああああああああああ、と心底恐怖している叫び声が聞こえて兵部は跳ね起きた。ついうっかりうとうとしてしまったらしい。時計を見ると夕方の6時を指していて、さっき葉とパティの内緒話を盗み聞きしてから二時間ほど経過していた。 そろそろ起きて行かないと不自然だろう、と立ち上がる。 それにしてもさきほど聞こえてきた声は何だったのだろう。 「真木のに似てたけど」 だがこれまであんな奇妙な悲鳴を彼が上げているのは聞いたことがない。 何かあったのだろうか、とも考えたが、それほど緊迫した空気は伝わってこないので別に敵が現れた、とか、マッスルが彼女を連れてきた、と言った類のものではないらしい。 兵部は脱いでいた学生服の上着を肩から羽織って下へと降りて行った。 幹部以外のメンバーも気軽に集まることの多いリビングへ近づくと人だかりができている。中からは子供たちのはしゃぐ声と、ひゃああ、とかやめろぉぉぉ、と言った悲痛な声が漏れていた。 「何の騒ぎだい?」 「あ、少佐」 しゅるしゅると触手をのばして戦闘態勢に入っているカズラが驚いたように振り返り、慌てて首を振った。 「いえ、あの、ちょっと待って下さい」 触手を振りながら、兵部が中をのぞくのを妨害する。 「少佐がきたわ!」 「え、ちょっ、まっ・・・」 焦る葉の声と、真木のどなり声が重なる。 「真木?」 カズラの妨害を簡単に無視して、そのままリビングへとテレポートで移動する。 そこで目にしたのは部屋中に張り巡らされた、折り紙で作ったらしい輪っかや花などの飾りと、異様な姿をしている真木と、暴れる彼を取り押さえようと奮闘する葉にパティ、そしてけらけら笑っている紅葉、そしてその他大勢のメンバーたちの姿だった。 「・・・・・・・・ええと、何これ」 一言で表現するならばカオス。もしくはファンタジー? 真木はいつものダークスーツを上半身だけはぎとられたらしく、下着のシャツの上から赤いリボンでぐるぐる巻きにされていた。ズボンはかろうじて死守したようだがベルトは外れそれをパティがひっぱっている。うねうねと伸びる炭素でできた長髪のてっぺんには猫耳のカチューシャが可愛らしく乗っており真木が動く度にびよんびよんと揺れていた。 ふ、と気が遠くなりかけたが何とか落ち着こうと深呼吸をして、兵部は冷めた目でちらりと紅葉を見た。おそらく、一番まともに説明してくれるだろう、と思ったのだったが。 「ちょっと真木ちゃん!さっさとズボン脱いじゃいなさい!ちゃんと台詞の練習はしたの?『プレゼントはお・れ』てちゃんと言うのよ!」 「言うかああああああああ!」 いやだぁぁぁぁ、となりふりかまわず首を振る真木の、長髪がぶんぶん揺れてとりおさえる葉を容赦なく攻撃した。べちっべちっと音がする。かがんでいるパティは上手く攻撃から逃れているようだ。 「いてっいてっちょっ、真木さん痛いっ」 びよんびよん。猫耳も激しく踊る。 ダメだ、耐え切れない。 「ぶっ・・・ぶわっはっはっはっはっはっはっ!」 一度吹き出すともう駄目だった。兵部は腹を抱えて笑い出し、そのうちあまりに苦しくて体を二つ折りにしてしゃがみこんでしまった。 「だっだめだ、く、苦し・・・・い、息が、で、できな・・・」 「いやぁぁぁ少佐!ちょっと!笑い死になんて恥ずかしいからだめぇぇ!」 マッスルがぐりんぐりん腰を振りながら迫ってくる。いつもなら視線ひとつよこすだけで遥か遠くへ引き離せるのに、このときばかりは超能力さえ発揮できなかった。ただひたすら苦しい。ああ、天国が見てきた。 「た、たすけ・・・ま、真木・・・っ」 「少佐!?少佐ァァァァ!!」 兵部に気づいた真木は蒼白な顔で葉とパティを突き飛ばし走り寄ってきた。 「だ、大丈夫ですか少佐!落ち着いて呼吸をして下さい!」 「う、うるさい・・・ていうか、ちょっ、近づくな、もう駄目、うわっはっはっはっはっ」 心配そうに腰をかがめてこちらの顔色をうかがう真木の、猫耳がびよんびよん。 「死ぬ、僕はもう・・・死んじゃう」 「いやぁぁぁ少佐ァァァ!」 どこぞで見ていた澪が泣き出し、つられて子供たちもわんわん泣き出した。まさに阿鼻叫喚である。 「ちょっとちょっと、落ち着いてよみんな!真木ちゃんはさっさとズボンを脱ぎなさい!」 「いや違うだろ!誰かァァァ!お客さんの中に酸素マスクはいませんかー!?」 葉が一番混乱しているようだ。 「まぎ、真木っ」 「はいっ少佐!どっどうすればあわわわわわ」 「ああもう苦しい」 こぼれる涙をぬぐいながら、兵部は相変わらず猫耳カチューシャをつけたままの真木を見てぶふっと吹き出した。 「ぼ、僕を助けると思って・・・」 「は、はい!何でもおっしゃって下さい!!」 おろおろする真木の袖をつかみ、わんわん泣きじゃくる子供たちをなだめる紅葉や意味不明なことを叫んでいる葉やスケッチブックに地獄絵図を描いているパティを尻目に兵部は言った。 「さっきの台詞をおまえが言ったら、死なずにすむかもしれない」 「は、え、ええ?」 「ほら早く。『プレゼントはお・れ(はーと)』だろ?」 「ひぃぃぃぃぃ」 思わず頬を引きつらせた真木の、びよんびよん揺れる猫耳に、兵部は今度こそ気が遠くなる予感がした。 これなんてパーティ? |
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沖縄にでも行こうか、という兵部の思いつきに、人知れず誰よりも喜んだのは実は真木だったかもしれない。 海外の活動も一段落したものの、忙しい日々が続いている。兵部の疲れもそろそろピークに達しているのではないだろうか、と危惧していたところだった。 しばらく日本に戻って、のんびりするのもいい。そのまま彼と数人を残して自分だけ仕事に戻り、雑事をすべて片付けるという案もある。ただし兵部はうんとは言わないだろう。いつでも彼は先だって自分が動きたがる傾向にある。 女性陣がはしゃぐのを苦笑しつつ眺めながら、真木は相変わらずスーツにネクタイという怪しい格好のまま、ビーチチェアーに横たわる兵部にジュースの入った冷たいグラスを手渡した。 「少佐は泳がれないんですか?」 パラソルの下にいるにも関わらず、日差しが強いからとかけていたサングラスを指でずらし兵部はちらりと真木を見た。 わずかに眉をひそめたのはきっと、暑苦しい、とでも思ったに違いない。 何度か注意してみたものの、これが自分のスタイルですから!と強固に主張されれば、もう何も言えない。 「疲れるから嫌だ」 「そうですか」 聞いてみただけだ。 もし本当に兵部が肩に羽織ったシャツを脱ぎ棄てて海に入ろうとすれば慌てて止めなければならない。 ただ、はたしてこの人は泳げるのだろうか、と疑問に思っただけである。 露天風呂では子供のようにばしゃばしゃ遊んでいるのを見かけることは多々あるが、波のある広い海でざぶざぶ泳いでいるところはあまり想像できなかった。 「かなづちじゃないよ。失礼なやつだな」 「は、いえ、あの。よまないでください。すみません」 ぶんぶん手を振りながらうなだれると、くすりと小さな笑い声が聞こえて顔を上げる。 兵部はサングラスを放り投げると、ゆっくりと体を起こして手を差し出した。 「部屋に戻る」 「はい」 当然のようにその手をとって立ち上がるのを助けると、そのままホテルへと向かった。 じっとこちらを見つめる視線には気づいていたが、あえて振り向かなかった。 優越感に浸るほど傲慢でも子供でもない。 ただ、ほんの少しだけ胸が痛くなるだけだ。昔から甘えたがりの末っ子のことは、けっこう気にしている。 (こういう性格も、割りを食っている) だがそれを抜きにして真木司郎という人格は型をなさないだろう。 誰だって、大事な人の一番にはなりたいと考えるが、真木は兵部の一番でありたいなどとは思わなかった。自分にとっての一番が兵部であること、それだけでいい。だが、あの末っ子はまだそこが理解できない。 真木のそれは、葉の考えるそれとは微妙にずれていることを兵部も紅葉でさえ気づいている。 「子供なのはどっちよ」 浮き輪にぷかぷか浮かんだまま、波の気の向くまま流されている紅葉はひとり呟いた。 涼やかな声が頭の中に流れ込んできて、思わず笑い出す。 『僕のことを言っているのかな?それとも真木?』 「どっちでしょう。ただ分かっていることは、みんなあなたが大好きだってことくらいよ少佐」 『照れるなあ』 「照れないでよ」 『その水着、とても似合ってるよ』 「ありがと」 そのまま、ぷつりと会話がとぎれて、やがて静かになった。 テレパシーでの会話は余韻がなく、終わったとたんに寂しい感じがするのはいつものことだ。 面と向かって話すのなら遠ざかって行く背中を見れるし、電話なら切る瞬間が分かるから未練もない。 テレパシーの場合は、じゃあね、というさよならの合図がなければいつまでも繋がったままのような錯覚に陥ることがある。 『じゃあね』 呆れたような色を含んだ声がぼわん、と聞こえて、紅葉はくすくす笑った。 広い部屋の中央に置かれたキングサイズのダブルベッドは、おそらく真木のような体格のいい男が三人寝てもまだ余裕があるだろう大きさだった。 そこを占領するのは平均的な体格の少年ひとりで、どれだけごろごろ転がっても落ちる心配はないだろう。 シャワーを浴びてガウンに着替えると、真木が当然のようにタオルを持って突っ立っていた。ろくに乾かさず上がったせいでぽたぽたと髪や体から落ちる雫を律義に拭きながら真木はタオルを兵部の肩にかける。 「さっきはなぜ笑っていたんです」 「目ざといね」 「いえ、こちらをちらちら見ていたので気になったんですよ」 「紅葉とちょっとね」 「紅葉ですか」 葉となにか話しているのかと、と思っていた真木は意外そうな声を上げた。 「葉が、やきもち焼いているっていうから」 「やきもちですか」 「さっきから鸚鵡返しばっかりだね」 ちゃんと考えて発言しなよ、とまるで学校の教師のようなことを言われて、真木は面食らった。 「葉が、俺を快く思っていないことには気づいています。いまだにあなたを独占したいとうい子供心が抜けていません。あいつももう少し幹部としての自覚が育てばいいのですが」 ラタン編みのソファに腰掛けてテレビのリモコンをもてあそぶ兵部の髪を丁寧に拭きながら、生真面目な表情で言う真木に、兵部は首をぐるりとまわして振り返るとひらひらと手を振った。 「ああ、違う違う」。 「え?」 軽い調子で否定され、思わず手を止めた。 「違いますか」 「全然違う。似てるけれど、あいつが独占したいのは僕じゃないんだよ」 君は気配りは上手くてもけっこう鈍感だよね、と失礼なことをさらりと告げて後ろ手に真木の腕を掴んだ。 「パンドラのメンバーもかなり増えた。これからもまだ増えるだろう。仕事も比例して多くなるし、いつまでも今のままではいられない。それは僕と、君たちも同じことだ」 「・・・急に、何の話です」 内心、こういう話は聞きたくなかった。 真木が最も恐れていることを、兵部はあっけらかんとした表情で、口調で、諭す。 耳をふさぐことは許されなかった。 いつか兵部の代わりに自分たちエスパーを率いることになる彼女たちの話を、初めて聞いた時の衝撃は忘れない。 まだ先の話だ、ずっと遠い未来のことだと自分に言い聞かせ続けて、もう何年がたっただろう。 「・・・もしかして、それが葉の、独占したい時間の話ですか」 「時間でもあり、存在でもあり、場所でもある。インプリンティングにも似ているね。僕と出会った頃、まだ君や紅葉しかいなかった頃を最も幸せな時間だと認識してしまっているから」 家族が増えることは幸せなことなのに、メンバーが多くなればなるほど自分の居場所が狭くなってしまうような気がするのだと兵部は言った。 「僕を中心にしているから、いつもそばにいる君がいつだって昔のまま立ち位置がぶれていないことを羨んでいるんだろう。一歩円の縁を超えて外へ出てしまえばあとは皆同じだと、そう感じているのかもしれない」 「幹部という位置にいます」 「そんなものはただの飾りにすぎない。僕が拾った子供の中で最も古株だというだけの話だ。一緒にいる時間が他の者より長いから誰よりも信頼しているけれど、だからと言って新入りを遠ざけたりしているかい?」 「いいえ。いいえ、そんなことはありません」 兵部はいつでも公平だった。自分たちが幹部という立場にあるのは兵部の言うとおり一番の古株であると同時に、次々と仲間になったメンバーたちが頼ってくれるからである。 一般社会の企業のように、辞令がおりて任命されたものではないのだ。 思えば、それまで被保護者であった自分たちはいつの間にか兵部の部下になったが、それも「今日からおまえたちは僕の部下だ」などと宣言されたわけでもない。 兵部にとってはメンバーの全員が家族で、全てを保護下に置いている。ただし強制はしないけれど。 「難しく考えることはないよ。ただ組織が大きくなるにつれて自ずと自分の立ち位置を考える時期にきているのさ。誰しもがね」 重くなりがちな話題から逃れるようにきっぱりと言い切ると、兵部は立ち上がって窓の外をのぞいた。二階建ての建物の二階に位置しているので、海辺で遊ぶメンバーたちの歓声がここまで届く。 「君は僕の右腕。紅葉は、そうだな、いつでも背中を守ってくれるかな。ああ左肩にはげっ歯類がいるね」 今は澪たちと大はしゃぎしているけれど、と優しいまなざしで下を見下ろしながら、腕を組んだ。 「葉は、ええと、膝の裏」 「・・・はい?」 なんだそれは。 そんな肩書は聞いたことがない。 必死で意味を考える真木ににやりと笑って、兵部は自分の膝を指さした。 「よくやるだろ、膝かっくん。あいつは僕の膝の裏を不意打ちで蹴ってきて、このじじいちょっとは大人しくしやがれ、ていう役」 「・・・・はあ。いいんですかそれで」 呆れた調子でぐぐっと肩をすくめると、いいんじゃない、とこれまたひどく軽い返事が返ってきた。 「末っ子の特権だよね」 『ねえ少佐、その話そのまま葉に伝えていい?』 「だめ」 繋ぎっぱなしのまま沈黙していた紅葉の突然の声に、兵部はあっさりノー、と言って、さっきからこちらを見上げてはそわそわしている末っ子に手を振ったのだった。 |
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どこか遠くで人の声が聞こえたような気がして、兵部は顔を上げた。
「どうしたの?」 向かいの席で不二子が怪訝な顔をする。 手に持っていたフォークを品よくテーブルに置いて、兵部は空になったグラスに冷やしたお茶を注いだ。もうひとつ、中身が減っている不二子のグラスに足してやり手渡す。 「うん、今誰かに呼ばれた気がしたんだ」 「あなたそんな能力あった?」 「ない……はずなんだけど」 「でも私たちの力は未知数よ。もしかしたら、何かのきっかけで新たな能力に目覚めることもあるかもしれないって、お父様おっしゃってたわ」 「うん、そうだといいね」 もっと強くなりたいしね、と子供たちが微笑み合う。 そう、もっと強くなれば、きっと超常能力を嫌う軍人や政府のお偉い方にも認められる日がくるだろう。そうすれば沢山の人を救うことができるかもしれない。お国のために、という意識はまだ兵部は薄い。ただ、子供心にもっと褒められたい、期待にこたえたいという思いがあるだけだ。 (ああ、そうだった。認めてほしかったんだな) ぼんやりと兵部は思った。 目の前の暖かな思い出を懐かしげに見守りながら、彼はひとり納得する。 好きだったから、裏切られて悲しくて復讐を誓った。 それと同時に、認められたくてがんばっていたのに結局認められなかったという諦めがそこにはあった。 ではどうすればよかったのだろう。 考えても詮無いことだけれど、こうして非現実的な世界でひとりさまよっていると考える時間だけはたっっぷりとあって、思考を中断するおせっかいもここにはいなくて。 (あ、そうだ。そういえば誰もいないや) なんだ置いて行かれたのか。 不思議と怒りは感じなかった。おそらくどうしようもない事態なのだろう。だったら、もう天に任せるしかない。 戻れば病院のベッドの上だろう。二度と戻れないのであれば、こうして自分の人生をもう一度たどっていくのだろうか。他人事のように、何の干渉もできずに。 「退屈だなあ」 もしここで自分の力を発揮することができるのならばどうか。 果たして自分は、隊長を殺すだろうか。 殺せないだろうな、とひとり自嘲する。 幼いころの自分はあんなにも、あの男を好いていたのだから。 ほんの短い幸せな思い出すら奪ってしまうのはかわいそうだ。 「僕がね。僕自身がかわいそうだよね」 ああ、あのおせっかいな子供は今頃どうしているのだろうか。 (呼んでみようか) ふと思い立って、兵部はゆっくりと口を開けてみた。 「真木?どこ?」 「少佐!」 「あれ?」 なんでこうもタイミングよく声が聞こえるのか。 笑いそうになるのを堪えて、兵部はもう一度すすけた天井を見上げた。空から声がしたと思ったからだ。まるで夢を見る小さな子供のように。 「真木?呼んだ?」 「少佐!」 質問に答えろよ、と怒鳴り返そうとして、てのひらが何か暖かいものに包まれた気がした。 「あ、おはよう」 目覚めの一言はそんな間の抜けたもので。 今にも泣きそうな、歪んだ顔がすぐ目の前にあったので、兵部はおおいに顔をしかめた。うっとうしいし暑苦しいし見苦しいしなんか汚いし。 「ちょ、近い」 「ああ良かった……!」 今度は腹のあたりに顔を埋めて真木がすっかり表情を隠してしまう。 「おいおい。子供じゃあるまいし泣くなよ」 「泣いてませんよ!」 もう、と子供を叱る大人の顔をしながら、それでも真木は笑おうと努力しているようだった。結局失敗してひどい面をしているのだけれど。 「長い夢を見ていたようですね」 「ああ、うん。でもちょっとだけ満足」 「満足ですか?」 俺はもうこりごりですが、とさらりと嫌味を言い放つ真木を無視して兵部は体を起こすと頭をかいた。 「まあね、良い思い出って必要だよね。誰にも」 「そうですか。でも今の方が幸せでしょう?」 「やけに強気だねおまえ」 頭でも打ったんじゃないのか、と本気で心配する兵部に、真木はただ笑顔を返すだけだった。 過去に戻ったわけではなくて良かった、と彼はひっそり思う。 兵部が良い思い出だと言った彼の過去を、かの男を、壊さずに済んだのだから。 |
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