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ゴォォォォ、と頭上を飛行機が飛んでいく。プロペラ機だ。泥で汚れきった機体には我が国のマークが誇らしげに描かれており、おそらくここから近い場所から離陸したのだろう、やけに低い位置を通過していった。大きな影が彼らを覆い、やがてすぐに強い日の光に照らされて目を細める。耳をふさいでいた薫たちが手を離して、口をぽかんと開けたまま小さくなっていく飛行機の尾をいつまでも見つめていた。
「あれ、なんかあの飛行機古くない?あんなの飛んでるの見たことないよ」 変なの、と呟いて、ねえ、と仲間たちに同意を求める。 同じように唖然としていた皆本たちだったが、とりあえず、VIPルームにいた者たちひとりをのぞいて全員いることを確認して、さてここはどこだと首を傾げた。 広い草原、遠くに見えるのはまぶしいほどに緑あざやかな森。青い空は薄い雲がまばらに散っていて、腹が立つほどにすがすがしい。ただ気になるのは照りつける太陽の光が尋常ではなく暑いということだ。 「えっと……。葵、どこかにテレポートした?」 「んなわけないやん!どこよここ!?」 「だよね。どうなってるの?」 「分からない。賢木、さっき兵部を見て何か変な顔してなかったか?あいつの仕業なのかやっぱり?」 「いや……。若干脈が乱れたように思ったけど、別に何も」 振り返って真木を見たが、彼も怪訝な表情で首を振るだけだ。 「京介は?京介がいない!」 意識の戻らない怪我人の姿が見えないと気づいて、薫たちは慌てだした。すぐさま飛んで行こうとする真木を制止しようとして、皆本が息をのむ。 「ちょっとまて、あれって……」 「なんだ?」 うねる長い髪が戻って行く。 皆本が指をさした方向を全員が見て、目を丸くした。 「子供?こんなところに?」 「いや、こんなところにって言うかここがどこかも分からないんだけどな」 十歳にも満たないくらいの小さな子供が座り込んで一生懸命に何か作業をしていた。遠目に見ても身なりが良くどこかの金持ちの子供のようだ。 「どうする?」 「どうするもなにも。あの子に、ここがどこだか聞くしかないだろう」 「だよなあ」 きっとあの子供からしてみれば、急に現れた不審者に見えるだろうが、幸い女子中学生が三人もいる。逃げられることはないだろう。たぶん。 「ちょっと、君!」 なるべく驚かせないように、少し距離をおいたところから皆本が声をかけると、しゃがみこんでいた子供がぱっと顔を上げた。 「ごめん、ここ東京だよね?どの辺か分かるかな、お兄さんたちちょっと迷子になっちゃって」 間の抜けた質問だ、と自覚しながら皆本がたずねる。 子供はぽかんとした様子で六人の男女を見つめていたが、しばらくして立ち上がった。 「……あれ?」 薫が小さく声を上げる。 「どうしたの薫ちゃん」 「ううん、なんか、見覚えがあるような気がして」 「あの子が?誰だっけ」 黒い髪はきりそろえられ、白い半そでのシャツの上に品の良いベストと、細いリボンネクタイに膝丈のズボンを身につけている。明らかに日本人だが、格好はヨーロッパの貴族じみていて、それが様になっていた。ただせっかく奇麗な服を着ているにも関わらず、頓着せずに地面に座り込んでいたせいかところどころが土で汚れていてもったいない。 「そっちへ行ってもいい?」 もう一度声をかけると、その子供は少し迷ったようにきょろきょろしてから、小さくうなずいた。 「……ねえ、あの子、京介に似てない?」 「え?」 「ほら、ずっと前京介が子供になって学校にきたじゃん。パンドラの人たちが先生になりすまして皆本を子供にしようとしたとき。似てない?」 「……言われてみれば」 一番後方からついてきた真木が小さく呻く。 「まさか、な」 ははは、と乾いた笑いをたてて、皆本は目の前で突っ立っている子供の前で膝をつき、目線を合わせた。 確かに兵部に似ている。 似ているが、あいつはこんなきらきらした目はしてないしなあ、と嫌な想像を頭から振り払った。 「邪魔してごめん。僕は皆本っていうんだ。君は?」 会話をするにはまず自己紹介だろう、と基本的なことから始めてみたが、やっぱりやめておけばよかった、と直後に皆本は後悔した。 子供は小さく首を傾げてから怪しい集団を見回し、もう一度皆本の眼鏡の奥をのぞきこむようにじっと見つめて、言ったのだった。 「兵部京介」 PR |
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電話をかけてくる、と言い残して真木が携帯を手に病室を出ると、あとには皆本と賢木、そしてチルドレンたち三人となった。少しだけ空気が軽くなった気がして、なんとなく全員がほっと息をつく。
真木は兵部のそばを離れようとしない。 高級マンションのファミリー世帯用ではないかと勘違いするほど広いVIPルームには患者用とは別に付き添い人用の立派な部屋が三つもあるが、真木は兵部の枕元に椅子を置いてそこを自分の定位置と決めたらしく、一日中そこにいる。 もし自分が寝かされていてあんなのが近くにいたら絶対眠れない、と皆本は思った。 なにしろ今にも歯をむいて襲いかかりそうなほど強いまなざしでじっと見つめられるのだ。兵部も実はうなされているんじゃないだろうか。見ている方も怖い。とても話しかけられる雰囲気ではない。 「目、覚まさないね」 「もう四日か」 そっと紫穂が小声で言うと、葵も肩を揺らしてソファの背に体重を預けた。大きくのびをして、薫の様子をうかがう。 「……本当に、大丈夫なのかな」 うつむいた薫に、皆本は明るく笑って頭を軽くたたく。 「大丈夫だって、賢木も言ってただろう。精密検査もしたけれど脳にダメージはない。寝ているだけだ」 「でも」 それならなぜ、という言葉を飲み込んで皆本の手を握った。 もう何度も繰り返した疑問だ。 なぜ。 音がして、真木が戻ってくる。四日間ほどんど寝ていないのだろう、ひどい顔色だったが、休めと言っても聞かないのだからどうしようもなかった。子供ではない、しかも味方でもないのだ、周りがどうこう言える立場でもない。 「交代は?」 よく兵部と一緒にいる幹部のうちのふたりがまだ姿を見せていないことに疑問を抱いて尋ねると、少し間を置いて返事が返る。 「このことは他のメンバーには伏せてあるからな。少佐と俺は仕事で海外へ行っていることになっている。紅葉と葉には普段通りにしていてもらう」 それもなかなか、辛い仕事ではないだろうか。 「澪たちにも内緒なの?」 ちょうど連休中だったこともあって、学校で澪たちに気取られる心配はなかった。今日は三人とも影チルに行ってもらっているが、いつまでも休んでいるわけにもいかない。だが紫穂や葵はともかく薫がこんな様子だとすぐに勘付かれてしまうだろう。 「すぐに目を覚ますさ」 その言葉ももう何度も聞いた、と薫は思った。 賢木が兵部の腕をとって脈を確認する。 ふいに、呼吸音が変化したように感じた。 「ん?」 「どうしたの?」 目ざとく薫が立ち上がる。真木も顔を上げた。 「いや、今なんか……」 「え?」 ぐらり、と眩暈を起こしたように、周囲がぶれた。 「うわ、なに?」 「なんだ?」 全員がきょろきょろとあたりを見回し、そして弾かれたように兵部の寝顔を見て、あ、といっせいに口を開く。 「吸い込まれる!」 何に、と思う暇もなかった。 突然小さなブラックホールが出現して、ここにいる全員を飲み込んでしまう、そんな感覚にとらわれたのだ。 「皆本!」 薫が叫び、チルドレンの三人が手をのばして皆本にしがみつく。 「やだ、なに!?」 「わかんない!」 「ちょっとまて、おい……」 周囲が真っ暗な闇で覆われ、遠くで賢木の声がした。すぐ近くにいたはずなのに、誰の声もが遠い。 (兵部の仕業なのか!?) 一瞬疑ったが、意識のない彼がどうやってそんなことをするのか。 皆本は大きく口を開けてチルドレンたちの名前を呼んだが、やがて視界がすべて真っ暗になり、互いを呼ぶ声は水の中のようにぼやけてつい耳に指をつっこんでしまう。 「おおーい!」 しがみつかれた感触さえもが薄れて、まるで溶けてしまうかのように、なにも分からなくなっていった。 眠りに落ちていくようだ。 穏やかに死を迎えるときはこんなふうなのだろうな。 それも気持ちがいいな、と。 誰かが笑ったような気配がした。 |
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「私をかばったせいで怪我したの!私のせいなの!」
泣きながら怪我人にすがる薫をなだめながら、真木が反論するのを遮って兵部を担架に乗せヘリでバベル管轄の病院へ運び終えるまでに皆本は相当の気力を要した。 とにかくパニックに陥った女子中学生ほど厄介なものはない。こいつを死なせたくないんだろう、と半ば無理やり敵地へ連れてこられた真木の無言の圧力も胃を内部から攻撃してくる。治療してやろうと言っているのだからその眉間の皺と殺気のこもった目つきはなんとかしてほしい。 賢木が集中治療室へ入ってすでに三時間ほどが経過している。廊下のつきあたり、もっとも暗い場所で壁と一体化するように腕を組んでいる真木を横目で見てから、皆本は腕時計を確認して、今日何度目かの溜息をついた。たった二十年ちょっとでこれだけの数の溜息をついているのだ、溜息をつくと幸せが逃げるというのならもうとっくに墓場へ直行していてもおかしくない。 いや、そんな空想をするには不謹慎な場所だ。 首を振って後頭部をごん、と壁にぶつけてみた。 あの場に兵部が現れたのは偶然だろうが、薫のピンチを救ったのは違いない。だが彼の様子は初めからおかしかった。 まず動きが鈍い。いつものように冷笑を浮かべて敵を煽りながらも、薫たちを押しとどめて戦いに割って入るそぶりはなかった。見学させてもらうよ、などと言いながらももっと介入してくるだろうと思っていたのにぎりぎりまでそうしなかったのは、もともと不調だったのではないだろうか。 (じゃあなんでふらふら姿を現したんだ?) 皆本には兵部の行動理由など見当もつかない。 いや、きっと真木や他のパンドラのメンバーも同じことを言う気がする。 少佐の考えることなんて分かるものか、と。実は何も考えていないかもしれない。 「皆本さん」 ふいに落ち着いた声をかけられて壁から背を離すと、柏木朧が困惑したような顔でこちらを見ていた。いつの間にやってきたのか、足音にすら気付かなかった。 「柏木さん」 柏木は真木をちらっと見て、声をひそめる。 「チルドレンたちは待機室で休んでいます。少し薫ちゃんが……ちょっと、あれなので。紫穂ちゃんと葵ちゃんが慰めていますが……。兵部少佐は?」 「まだ、分かりません。ああ、すみません勝手に彼を中へ入れてしまいました」 「いえ、仕方ありませんわ。パンドラの人たちが大挙してやってくるよりは。さっき局長のところに政府の役人から直々に、丁重に扱うように、と指示がきたそうです」 どうせ逮捕したところですぐに釈放要求されるに決まっている。 あらゆる面において、ロビエト国籍と大使館の存在は有用のようだ。 悔しいが、それはバベル側としても犯罪者をかばった、とされるより政府の命令で仕方なく、という体裁が取れる分やりやすい。それを見越して兵部がこういう手を使ったのであればその効果はてきめんである。 (してやられた感が強いのがむかつくけど) 「あ、」 扉が開いて、賢木が出てきた。疲れた顔をしながらぐるぐると肩をまわしている。 彼は一番近くにいた真木の前で足をとめた。 「少佐は?」 「命に別条はない。ただ失血が多かったから輸血をしておいた。まだ意識が戻らないのと、呼吸器をつけているからすぐに連れてかえるわけにもいかねえな」 真木の眉間の皺がさらに深くなった。命が無事だったのはいいとして、きっとすぐにでも連れて帰りたいのだろう。確かにいつまでも敵地に組織のボスを置いておけるはずもない。 「病室空いてたかな……」 「賢木先生、そのことですが」 柏木が歩み寄る。真木の威圧感に一瞬たじろいだようだったが、そこでおじけづくような秘書ではない。 「最上階のVIPを使用してはどうでしょう。人目につくのはどうかと思いますし」 「あいつにそんな贅沢な部屋を与えるのは癪ですが、仕方ないですね」 こんな怖い顔した男が一般病棟にいたら他の患者にも迷惑だ、と、賢木が真木を見た。 「それでいいか?」 「……病院ならパンドラが所有しているものがある。ここでなければならない理由はないだろう」 「動かさない方がいいっつってんだよ。それに」 薫ちゃんがひどく心配している、と言うと、真木は黙り込んだ。 「兵部のやつも目を覚ましたら薫のこと気にするかもしれない。いいじゃないか、最上階のVIPルームだぞ。普通そんな部屋よほどの要人じゃなきゃ借りられないんだからな」 ある意味要人には違いないが、と心の中で呟いた。 治療室から寝かされたままの兵部が看護師たちに挟まれるようにして出てくる。 真木が心配そうに兵部の顔をのぞきこんで、そっと白い頬に手をすべらせた。 眠っているとまるで人形のようだ。 彼は夢を見るのだろうか。 |
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ゴォォォォ、と頭上を飛行機が飛んでいく。プロペラ機だ。泥で汚れきった機体には我が国のマークが誇らしげに描かれており、おそらくここから近い場所から離陸したのだろう、やけに低い位置を通過していった。大きな影が彼らを覆い、やがてすぐに強い日の光に照らされて目を細める。耳をふさいでいた薫たちが手を離して、口をぽかんと開けたまま小さくなっていく飛行機の尾をいつまでも見つめていた。 彼女たちをちらりと見て、親友がこちらを見ているのに気付き視線を交わし、少し離れたところで眉間にしわを寄せた男がみじろぎするのを確認して溜息をつく。 せめて、ここに蕾見不二子管理官がいてくれたら。 きっと彼女は驚いたような、そしてひどく優しい顔でこう呟くのだろう。 ああ、懐かしい、と。 薫、と鋭い叫び声がして当の本人が気付いた時には、目の前が真っ暗なものでふさがれていた。ちがう、正確には黒い服が目の前にいたから何も見えなかった、だ。 はっとして声を上げるのと、血の匂いを感じるのがほぼ同時だった。頬に小さく赤い飛沫がこびりついて、すぐに明るくなる。落ちて行くのだ、と気付いた時には薫はパニックになっていた。 「京介!」 「薫ちゃん!」 紫穂が慌てて目の前の敵を警戒するように告げたが彼女の耳には届かない。獲物を狙う目で敵が彼女を攻撃しようと掌を掲げたところで細く長い光が割って入った。 「先生!」 賢木が銃口をむけ正確に敵を狙っている。腕はぶれない。こんな小さな、ただの道具で空に浮かぶ殺人兵器を狙い撃ちするなんて。彼にサイコメトリーの力はあっても射撃の腕はそれだけに頼るものではない。 地面にたたきつけられた兵部を薫が抱え起こして必死で名前を叫んだ。皆本が走り寄り、葵はおろおろと紫穂と薫とを交互に見ている。 敵はまだ健在だ。下手に動けば攻撃を受ける。 遠くからプロペラの轟音が響いて、黒い塊が近づいてきた。見覚えのない機体でそれがバベルからのものではないことを表している。 「パンドラか」 「遅い!」 とたんに怒鳴って、賢木が皆本を呼ぶ。兵部の呼吸を確認していた指揮官ははっと我に返ると顔を上げて、薫の肩に手を置いた。細い体が怒りと不安で揺れているのを感じて、皆本は唇をかんだ。もう三年ほども前から名前で呼ぶほど、彼女はこの男をある意味で信頼していた。自分たちにとっては非常に憎らしい敵だが、それでもチルドレンを守ろうとしているのは同じだ。ライバルなどと甘い関係ではないが、皆本は兵部を憎んではいても死ねばいいなどと思ったことは一度もない。それはきっと、薫を悲しませることに直結するだろうことが容易に想像できるからだ。 「薫。こいつのことは僕たちで何とかする。大丈夫だ簡単に死ぬようなやつじゃない。それよりあの敵をなんとかしないとまた狙われる」 「うん」 そっと涙をぬぐいながら薫は顔を上げた。その大きな目には怒りが宿っている。大丈夫だ、この子はまだ戦える、と、皆本は彼女の手をひいて立ち上がらせ、賢木にうなずいた。 空中に浮く三人が敵と対峙する。 賢木がぐったりと倒れている兵部のそばでしゃがみこむのを確認して、皆本は地上から子供たちと敵とを眺めた。指示を出して導くところまでが彼の仕事だった。あとは彼女たちを信じるしかない。 いつも思う。 もっと近くで、一緒に戦える力が自分にあればいいのに、と。 大きな音をたてて近付いてきたヘリから小さな人影が飛び降りて、黒い翼を広げると空気を割ってこちらへ急下降してきた。地上の兵部と賢木とを視認したのだろう、慌てたように旋回してそちらへ降りていく。 兵部の右腕の、真木とかいう男だろう。 強い風が吹いて埃が舞い上がる。血の匂いを嗅いだ気がした。 「ザ・チルドレン、トリプルブースト解禁!」 「絶対ゆるさない!」 普段聞くことのない、低く怒りに満ちた声で薫が呟いて、風を味方につけたかのように三人を竜巻が取り囲んだ。土や埃や枯葉や、地面に落ちるあらゆるものを巻き込んで上空高くへと昇って行く。それはやがて細く長く、先端が鋭い大きな牙に形を変えた。 皆本はためらった。 殺すな、という指示が妥当かどうか、自分の中にいる何人もの冷静な分析官が相互に意見を主張しだしたのだ。彼女はそんなことをしない、という自分と、いや怒りに任せて殺してしまうかもしれない、注意すべきだ、という自分が壇上で舌戦を繰り広げる。 「か、薫!」 喉の奥が粘ついて掠れた声が上がった。台風のように強い風が辺り一帯を荒らしているせいですぐにかき消されたが、葵がすぐに気付いて薫の手を引っ張る。 「拘束、するんだ」 かろうじてそれだけ命令して、乾いた唇を舐めると、薫はほんの少し笑ったようだった。 大丈夫任せて。 そう声に出さず告げた顔がひどく大人びている。こんな顔をするようになったのか。これではまるで……。 破壊の女王の姿だ。 |
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ぬかるんだ山道を危なっかしく揺れながら車が走っていた。夜が明けて数時間、ようやく雨は小降りになり、風もやんだ。崖崩れで通れなくなった道を避けて大きく迂回する方法をとった葉たちは、すでに二時間半もの間退屈な時間を過ごしていた。携帯電話の電波は一本たったり圏外になったりと落ち着かない様子である。 「ねえ、もっと急いでよ!」 「るっさいな!だから飛んで行こうって行ったんだよ俺は」 「駄目よ荷物たくさんあるんだし」 「テレポートすれば?」 「帰りの車は?」 運転手ひとり残して帰る、という手もあるわよと紫穂が微笑んだ。おそらく脳裏ではぶつぶつ文句を言いながらハンドルを握る賢木の姿が浮かんでいるのだろう。 後部座席でやいのやいのと騒ぐ少女たちにうんざりしながら、葉はがたがたと不安定な道を必死で運転していた。これがいつもの外車じゃなくて良かった、とほっとする。あの大きな車だったら今頃崖から転落して目も当てられない惨状になっただろう。 とたんに玄関の付近が騒がしくなってきて、賢木が苦笑しながらドアを開けた。同時に三人の少女たちが飛び込んでくる。 「先生!」 「お疲れさん。大丈夫だったか?」 「ちょっと酔っちゃった」 「いやそうじゃなくて」 皆本は、中庭だよ、と交わされる会話を無視して葉はずかずかと中へ入って行った。部屋へ戻ろうとしたところで、背後から兵部は中庭だ、と声をかけられて方向転換する。いくら雨が上がったからと言って、ぐしゃぐしゃにぬかるんでいるだろう庭に病人が出るなんて、と思いながら葉は仕方なく賢木や少女たちと一緒に中庭へと向かった。 開け放たれた障子の外は明るい日差しとまだ雨の匂いに包まれていた。 その、こじんまりと庭の隅に立つ太い木の根元に兵部と皆本がしゃがみこんでいる。 「ちょっと、何してんスか少佐!」 古びた小汚いサンダルをつっかけながらふたりのそばへと駆け寄る。続いて四人も降りてきて、ふたりを見下ろした。 「どうしたの皆本?」 「ああ、みんなお帰り。昨夜はすごい嵐だったね」 どこか疲れた顔をしている皆本がにこりと笑みを浮かべた。目の下にはうっすらと隈が張っている。うるさくて眠れなかったのだろう、と薫たちは納得した。 「うん、停電になって大変だったよ。野犬の遠吠えとかさあ。おばあちゃんが怖い昔話するし……」 「こっちも色々あってさ。一応廊下とか掃除はしたんだけどね」 「何かあったの?」 「野犬が侵入してきて……」 「少佐?」 葉は兵部の隣りにしゃがみこんで顔をのぞきこんだ。少しばかり憔悴して青ざめた顔色の養い親を怒鳴りつけたくなったがぐっと堪える。 「何やってんの。中入ろうよ」 「うん」 「何これ?」 彼が見つめているものへ視線をやると、木の幹の下の方に刻まれた文字と、盛り上がった土があった。文字はちょうど子供の頭くらいの位置にある。何が刻まれているのかは判読できなかった。土は掘り返されたばかりのようで、周囲とは違う色をしていた。 「お墓」 「墓?何の?」 誰の、と言いそうになって、それは適切ではないと言い直す。 「うん……」 それだけ言って、まだ黙り込んでしまう。 浴衣の上に羽織った羽織だけでは寒そうで、葉は眉をひそめた。ゆっくり養生するためにここへ来たというのに、もっと悪くなっているような気がする。こんな姿を真木が見ればきっと血管がブチ切れるほど怒るだろうな、と思った。 「少佐、中に入ろう」 「そうしよう兵部。彼には僕が説明するよ」 言いながら皆本がぽんと兵部の肩をたたくのを、すばやく葉が振り払った。皆本は苦笑して腕を引っ込める。 「とは言っても、昨夜起こったことは話せるけど、それ以上のことは分からないけれどね」 兵部の様子がおかしくなったことや、なぜ、この下に埋まっているのだろう猫が姿を現したのかという説明は皆本にはできない。すっかり平らになっていた地面にさらに土をかぶせたのは兵部だった。あの猫が幻だとしたら、血まみれで倒れていた野犬の説明がつかない。だが確かにあのとき、獣の死体の他に何もなかったのである。 葉が兵部の腕をとって立ち上がらせ、背中を押して屋敷の中へと誘導していく。 兵部は一度ちらりと墓を振り返って、小さくごめん、と呟いたのだった。 「まったくおまえと言うやつは……」 くどくどと続くお小言を適当に聞き流しながら、葉はむっつりした顔でポテチを口に放り込んだ。隣りの座敷で兵部が寝ているためか声は抑えられているが、その分重々しい上に長い。顔を挙げると鬼の形相で睨まれるため目も合わせられない。 その日の昼過ぎ、真木はたてこんでいた仕事を超特急で終わらせ、瑣末なものは他の人間におしつけて旅館へ戻ってきた。さらに具合を悪くしている兵部と昨夜の話を皆本から聞かされて延々説教中である。 「どうして少佐のそばを離れたんだ!」 「いやだから、俺飯とか作れないし……」 「あの眼鏡野郎に頼んででも少佐についていろ!」 「……自分だったら絶対そんなことしないくせに」 「何言ったか?」 「いえ……なんでもありません」 じろりと睨まれてそっぽ向く。 そろそろ飽きてきた、と葉が逃げ出そうとしているところへ、かたんと音をたてて襖が開いた。二人が顔を上げると寝ていたはずの兵部が立っている。浴衣は乱れているし髪は寝癖がついてぴんぴん跳ねているが、顔色はずいぶん良くなったようだった。賢木が処方してくれた薬が効いたのかもしれない。 「少佐!」 「やあ真木お帰り」 「話は聞きました。昨夜は大変だったようですね」 「まあね。僕はあんまり覚えてないんだけど」 苦笑いしながらこちらへやってくるのを、真木が慌てて立ち上がり座卓の座布団を二枚重ねた。 「起きて大丈夫なの少佐」 「うん、平気。だいぶ楽になったよ。今日は鍋が食べたいな」 よっこいしょ、と年寄りじみたことを呟いて腰を下ろす。そそくさと真木が肩に羽織をかけて、お茶を注いだ。このまめまめしさにはまだ勝てない、とひっそり葉は思う。兵部に対しては自分も割と気を配れる方だと思っているが、ささやかな、子供っぽい反抗心や気恥ずかしさのせいでなかなか瞬時に行動に移せないのだ。こういうところがまだ子供だ、と、兵部や真木、紅葉などから思われていることには気づいていない。 「鍋ですか。それもいいですね」 「薫たちも一緒に」 「……あいつらもですか」 「いいじゃん、鍋は大勢で囲んだ方がおいしいだろ」 いい肉もあるんだし、とにっこり笑う兵部に勝てるはずもなく。 その日の夕食は、真木と皆本が争うように作ったおかずと大きな鍋でテーブルが満たされることになった。 年に一度はここへ来ることにする、と言いだした兵部に、反論する理由はなかった。よほどこの旅館が気に入ったのだろうか。 ただ気になるのは、真木がふと中庭を見渡した時に庭の片隅の大木の根元に小さな墓が作られていることだった。土は掘り返したばかりのものなのか明るい色をしている。近寄って見てみると近くに咲いている名前も知らない青や白い小さな花が添えられていた。兵部に聞いても、葉に聞いても何も知らない、としか答えない。ただ、翌朝早くに皆本が新しい花を供えているのに気づいて、真木はちょっぴり腹立たしくなった。理由は分からない。ただ、自分の知らないものをあの男が知っているのかもしれない、と考えて苛立たしくなっただけだ。 仕方ないので、真木は誰も見ていない隙をついて旅館の裏側、山沿いに咲き誇っていた大きな花弁の花を負けじと摘んでは墓らしきものに供えた。 後日それを知った兵部が爆笑しながら、おまえは本当にかわいいやつだね、と子供に対するときのように頭を撫でて真木をからかった表情はとても優しくて、けれどなぜかひどく切ない目をしていた。 ひとりでここへ飛んでくる分には何の苦労もない。 真木は、来年ここへ来るまでに花が枯れないように、ちょくちょく様子を見に来るようにしようとこっそり決めたのだった。 |
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